Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

なんでなん?の裏にある衝動。

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子供ってよく口喧嘩したりしませんでした?
大人でもするか?
僕は最近は口喧嘩してへんのですけどねー。

でも、口喧嘩でどっちが論理的か勝負!
みたいな方向性になる場合ってあるやないですか。
そんな時に有効な最強技っていうのがあるんですよ。

それはですねー。

「なんで?」
を繰り返してやるんです。

〇〇だぞ!→なんで?
だって、あーだから!→なんで?
だって、あーはこうだろ?→なんで?

って具合です。

なんで?っていうのは、基本的にキリがないんですよねー。
だって、そもそも答えなんてありゃしないからです。

 

でも、なぜなぜなんで??
って疑問が湧いてくるその根底には、
どこかに絶対答えがあるはずである。
っていう信念があったりするわけです。

だから、当然答えはあるはずだとどっかで思ってたりするんですよねー。

それが誤解やというわけです。

答えはありゃしません。
ループするか、矛盾に突き当たるか?
のいずれかです。
そして最後には「わからん!」にたどりつくわけです。
あえていうなら、この「わからん!」が答えやというわけですね。

非二元だって一緒懸命勉強すればいつかわかるようになるというもんじゃありません。
もしそうなら、簡単なんですけどね。
そうやないからややこしいんですけど、逆にいうと、一切の才能も能力も必要なく、
賢いよりは、アホである方が有利だったりもするんですけどね。
でもこれって、どんなことでもそうなのかもしれませんね。
もしかしたら、賢いが通用するのはテストとかだけだったりするのかもしれませんね。

どんだけアホになれるか?カシコを捨てられるか?
なんでしょうね。

せやからね。
いっかい、「なぜ?」とか「なんで?」を置いておいてね。
その奥にあるなぜの発生源の衝動の方をみてあげるのも良いかもしれません。

この衝動はもしかしたら、痛みや苦しみだったりするかもしれません。
この子達をね、しっかり抱きしめてあげるんです。
緊張して硬くなってるこの子をね、ほぐしてあげるんです。

理由があるはずといった誤解の奥には、原因と結果という法則を頑なに信じていた自分がいるかもしれません。
この法則は一見、絶対性があるように見えるかもしれませんが、その正体はおままごとのルールと同様なものに過ぎないことが見えてくるかもしれません。

ほぐして、緩めて、そのままそこにリラックスしながら、居てみてください。

ものすごい大きな原因があると思いきや、単なる胸のつっかえやったんかいっ!
そこにレッテルを貼っておおごとにしとっただけかい!
てなツッコミが出てくるかもしれませんよ。

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