だいたいねー。
これだけは譲れないんだ!っていう自分の思いって、
たいがいは他の人にはどうでもいいことだったりしますよねー。
飲み会とかで、
「タクくん。
いいか、僕はねぇ、これだけは譲れないんだよ!」
とか、言われる事がありますが、、、。
へぇーそうですかー。
としか言えませんからね。
ま、いつもはちょっとおべっか使って、
「うぉっ!!!スゴイっすね!」
とか言いますけどね。
しかも言ってる人はなぜかすんごいドヤ顔見せてくるので、
ちょっとどうしたらいいのかわからなくなってきます。
そう言えば、
だれかの譲れない事って、色々と聞いた気がしますけど、
一個も記憶に残ってないなぁ〜。。。。
まあ、譲れない事って客観的に見たらそんなもんなんですよねー。
なのでね。
もし、何か譲れないものを頑なに握りしめているのだとしたら、
もう、そんなん譲ってあげたらどうでしょ?
それはとんでもない!!!
っていう怒りや恐怖が出てくるとしたら、
それは、もしかしたら何かを守ろうとしているのかもしれません。
でも、ホントにその思いに何かを守るチカラってあるんかな?
もしかしたら、逆にそのイメージが何かを窮屈にしてただけやないんか?
みたいなね。
可能性を探ってみても良いかもです。
思いや信条は、自分が扱うただの道具であって、
その道具の下に自分を置いていると、自分の方が道具になってしまいますのでね。
譲れない思いなんてものも、ガンガン譲ってやりゃ良いんですよ。
僕らの本質である「自分」っていうのは、
どんな容器にも、形にも当てはまりません。
さらには、「生と死がある」という観念や「私は私である」といった観念にさえ当てはまらないんですよね。
これが「私はいない」と言われる所以でもあり、誤解が生じる部分でもあるかもしれませんねー。
ま、この辺についてはまた書きます。
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