Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

ちょっ!!!おれ、神秘体験なんですけど!!!

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ちょっとした都市伝説みたいな噂話なんですけど、昔ね。
こういうの聞いたことがあるんです。

郷ひろみさんがね。
ディスコでナンパしてたんだけど、女性に断れた時にね。
かけてたサングラスを外して、
「これでも??」
って言ったらしいんですよねー。

イケメンにしかできへん技ですなぁー。

 

さて、
全く話は変わりますが、

身体は自分では無い。
ってなことにね。

ある時気付いたとして、、。

すると、今まで話してたあの人にも体はないのん?
あれ?確かに自分はあの人の身体の外見をみて話してた気にはなっていたけど、
実際に見ていたのは、身体の外見やなく、
もちろん話される言葉のまんまではなく、
その人の気というか、気の交流をしとっただけやったんちゃうんか!

みたいなね。
今まで誰とも話してすらいないやんけ!
みたいな思いを抱いたり、

ある種のスピ系知識があったりしたら、
ぬおっ!人は外見や考えた部分だけを話したり表現したりしてるんやなくて、
その中にはその人の奥の部分のエネルギー的な表現もしてるんやんけ!
このエネルギーが共感したりしとるんやん!
この共感に距離も時間もあらへんかったんやん!

そして、身体には関係なくそのエネルギーは存在しとるやん!
これがアストラル体とかいうやつか!
ぬおぉぉ!人は死んだりもしないんやん!

みたいに感じたりして。。。

ま、表現方法は色々とあると思いますし
突き詰め出すと長くなるわけですけど、
そういったスピ的な覚醒があったりね。

光に包まれた感覚に包まれたりする人もおるかもしれません。

これが、神秘体験というやつか!
といった体験ですね。

僕はそういった神秘的な体験について否定しません。
そういう話は人を癒すこともおおいにありますのでね。

ええやん!ベリーグッドやん!って思うわけなんですけど、
ただ、その体験へこだわりすぎるのは、ちょっとややこしいことになるかもねー。
とは思うんです。

昨日、ワシ、駅前で塩ラーメン食べてん!めっちゃ美味しかったで!
っていう体験と、
光に包まれるような、全ての疑問が解かれたかのような神秘体験とは、
全くの同価値なんですよね。

あまり、駅前で食べた塩ラーメン体験へのこだわりが強すぎて、
何を食べるにも、駅前の塩ラーメンと比べてしまって、
友人とスイーツを食べてる時も、
このスイーツは偽物やで!だって、駅前の塩ラーメンは、しょっぱかったんやもん!
この甘さは変なんやでぇぇぇー!
って豪語するようになると、ちょっと問題ですよね。

ま、それと同様に、
私は神秘を体験した体験者なのじゃ!
それ以降、エネルギー的な流れも見えてくるようになった。
ちょーのーりょくしゃなのじゃー!
ってね。
妙にエネルギーの詰まりが気になりすぎるのもね。
ま、ほどほどに、、、、。
って思うんですよね。

ええやん!詰まってても、それも味やで!ってことですしね。

いずれにしても、どこかの段階で掴み取りが起こると、
その掴み取った観念が物語を紡ぎ出しますんでね。

その物語りにはまってる間だけ、その観念による物語が展開されるだけですんで。

あらゆる観念の中にも、真理があるわけじゃなく、たんなる観念の見抜きですのでね。

なので、そういった体験があったとしたら、一回めっちゃスルーしてやったら良いと思うんです。

すると、この体験さんが、

ちょっ!!!!無視????おれ、神秘体験なんですけど!!!
って言ってくるかもしれません。

郷ひろみばりに、サングラス外して、「これでも?」とかいってくるかもしれません。

その誘惑はものすごく大きいものかもしれませんけど
ここはグッとこらえて、

あまり話したく無い人とすれ違う時のような感じで、
あ、どーも。。。

てな感じでペコリと挨拶するくらいで、あとはめっちゃスルーしてやって見てください。

すると、あらゆる体験を超えた在るに徐々に溶け込んで、
見られるものと見るものの分離のなさに落ち着いていきます。
言葉の説明されることのない、言葉以前の、「それ」です。

そんな中で、掴み取ろうとするクセを、愛でてあげたら良いんです。

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