Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

幻想とかリアルなんていう区別すら実はない

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実ですねー。
幻想とかリアルとかそういうものも無かったりするんですよね。

は?
だって、全てのストーリーは幻想なんでしょ?
そしてその幻想から目覚めると「それ」が残るんでしょ?

ということは、「それ」とはリアルそのものなんじゃないのん?

ってねー。
なんかそんな風に捉えたりもするかもしれません。

まあ、論理的にはそんな感じに落ち着くのかもしれませんけど、
もうちょっと突っ込んで言いますと、
ちょっとニュアンスが違うんです。

とは言っても、
「全ては幻想どすえ」
っていうのは、別に嘘やというわけじゃないんですけどね。

だったら、リアルと幻想があるんやないか。
ってなるわけなんですけど、

どちらかというと、リアリティっていうもの。
それ自体がイメージで作られておるもんでして、
このリアリティって、実は、イメージの中で勝手に重要事項をそう扱ってるだけなんですよね。

 

例えばね。

今この時をまさに注目しておりますと、
この今目の前にあるものにリアル感を感じたりするわけですけど、

過去の考えや記憶、感情を感じている時はその過去の出来事にまさにリアル感を引っ付けていて、
ちょっと待って!今それどころじゃないから!
なーんてね。
今はなんというかどこかに追いやられてたりするわけです。

夢を見ている間は夢はまさにリアルで、
夢から覚めた途端、夢は幻想となり、「夢は幻想」というリアルを思い描いたりするわけです。

イメージはリアリティとセットになっており、常に注目するストーリーにリアル感をつけないと成り立たないわけです。

「全ては幻想どす」なんて言われた日にゃ、じゃあ、別のリアルをすぐに求めてしまうわけですね。

つまりね。
幻想が起こるというか、リアル感が起こっとるわけです。
このリアリティが実は無いと言いますか、イメージやったわけです。

単なる注目。みたいなもんやったんです。

リアリティには意味はなかったんです。

なんていうかねー。

ホワンフィン!

みたいなもんです。

なんやねん。ホワンフィンって。
ってね〜。

なりますでしょ?

そうなんです。

ホワンフィンという言葉には一切意味がないんですよね。
僕が勝手に作った言葉ですので。

リアリティもそのホワンフィンと同じようなもんやったんですよねん。

なので、幻想とリアルというようなものがあるわけじゃなく、

単にリアリティというイメージが、リアリティを成り立たせるため幻想という定義を作り上げとるだけで、リアリティだとか幻想すらホンマは無いんですよねん。

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