Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

光と陰、快楽と苦痛。

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「光がより明るく輝くならばば、陰もまた黒く濃くなる。」

はーい。
タクさんです。
おはようございます。

今日もねー。
こんなことをねー。
ゆーたりしてるわけですけどー。
みなさま、いかがお過ごしでしょうか?

 

しかしまぁ、
なんですなぁ。

やっぱり明るく光り輝きたいっちゅうのもねー。
人情っちゅうもんですのでね。

影が濃くなるんなら、光輝くのもやめたらええんか?
ほんなら、なにもできへんくなるやんか!
夢も希望もないやんか!
ってねー。
思ったりもしたりして、、、。

ま、
実はね。
普通に湧き上がってくる好きなことを、好きに表現してりゃホントそれで良いんですよねー。
それによって、なんか影が濃くなるとかそういうことはないんです。

影が濃くなるっていう例が示す意味は、
苦痛とかそういうものをね、何かしらの欲望でもって
押さえ込もうとするときだけ、その苦痛が色濃くなるっていうことなんですよねん。

そりゃそうですよね。
しょっぱなが苦痛がテーマになってますのでね。
それを打ち消す行為もやっぱり苦痛に伴う物語っていうことになりますのでね。

そりゃそのストーリーを盛り上げれば盛り上げるほど
主役の苦痛は色濃くなるっちゅうもんです。

この主役あってことのストーリーですのでね。

カルマの解放。みたいな修行もちょっとそういう側面があるかもしれませんね。
カルマありきやん!

まあ、とは言っても、そういうことも起こってきますやんねぇ。

だからね。光り輝くのをやめる必要はないんです。
輝きと影は同じもの、二つで一つのパートナーみたいなものですので。
この影も光と同様に祝福してあげると良いんです。

あって良いですし、かき消す必要なんて無いわけですからねー。

そんな風になってくると、
影に見えてたもんも影じゃ無いホントの姿をあらわすかもしれません。

あとは、遠慮せず湧き上がる好きが表現されるに任せておいたら良いんやね!
ってことになってくるんですよねー。

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