Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

だってオモロそうやから!理由はそれで十分やったんです。

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必要性があるからやるんじゃなく、単にノリでやってみる
だってオモロそうやから。
それで良いし、それが良い。

ってねー。
思うわけなんです。

そんなん理由になってない!って思ったりする方もおられるかも知れませんが、
理由って思ってるほど重要じゃないんですよね。
ってか、いらんのです。

「なんのためにそれをやるのん?」
って
じつは愚問なのかもしれないんですよね。

「なんで、なんのために?なんてこと気にするのん?」
ってことなんですよ。

だってもともと意味も無ければ必要性もないんですもんねー。
そういう無いもんに縛られるとしんどくなってきます。

Todoリストの中に、ずっとほったらかしになってるリスト項目。
こういうのも、もう削除したったらええんです。

多分、ほったらかしになってるということは、
オモロそうじゃないから。
ときめかなかったからですからねー。

ときめかないと出来ないもんなんですよね。

そして、必要性を気にしてると、出来ないことに罪悪感が加わってきたりするわけでしてねー。
それがしんどさとして積もり積もってくると、荷物が重たくなってくるわけです。

じゃあ、その荷物ってホントに重いのか?
と言いますと、その荷物の実体はないわけでしてね。

無いものを重たく感じていたんかい!
だれがその無いものを有るものとしておったんじゃ!

・・・

あ、ワシやった!!!

ってね。
それが独り相撲の正体やったりするわけです。

荷物を降ろすというのは、その気づきだけで、
なにかしらの行為が必要なわけでもなく、
単に荷物のなさに気づくだけやったんです。

ま、あんまり必要性を気にしすぎたりせずに、
ノリの方を、
ときめきの方を見てみるってことに意識して見たら良いと思うんですよねー。

 

ただ、逆にねー。
絶対に必要性はないんだ!
だから、必要性を感じてたりするおもいは幻想だ!
幻想は滅却しなければならない!
みたいなかんじでね。

すべてをときめくものにするんじゃー!
ちょっとでもときめかないものは、まかりならーん!

ってね。
あまり極端にならなくても良いと思うんですけどね。

そういう時って、ときめかなきゃダメ!みたいな必要性に囚われてたりしますんで。

もっと気楽に、オモロそう!ときめく!という割合を
ちょっとずつ増やしてあげるって感じでー。
くらいのスタンスでいいと思います。

結局のところ、なにかしらの必要性を気にするということは、
その奥には恐怖があるわけです。

ただ、この恐怖っていうのも、在っていいわけです。
恐怖があってはいけない!という思いも、恐怖に対する恐怖みたいなもんですのでね。

取り払うよりは、あっていいんやんと気づくことで、恐怖は恐怖として可愛くなるんです。

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