Life is like children playing house.

人生はおままごとのようなもの。

そうさ!そんなのわかりきったことさ!(by スナフキン)

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そうさ!そんなのわかりきったことさ!(by スナフキン)

おはよございますん。
タクさんですん。

冒頭の言葉は、僕が好きなスナフキンの言葉です。

特別さ。
何者かになろうとすること。

そういうのが、わかりきったことを覆い隠してるのかもしれませんねぇ。

これらが取れてきた時に、最初っからある当たり前の姿が現れて来るんですよね。

僕らは損なわれるのが嫌なので何かを身につけて守ろうとするし、
どこかからの攻撃に負けないために力を蓄えようとします。
その先に安心がある。って思うからですね。

 

でも、
どこまでいっても安心といえる境地までは達することができず、
安心を手に入れたいけど、うまくいかないことも多く、、、。

そんな心配が、いろいろなしんどさとなって、
安心探しという終わらない旅を続けちゃったりするのかもしれませんねぇ。

なので、何かを常に手に入れようしますし、
安心を探し続けるわけです。

この探求の終わりって言うのは、
探求への諦めがついた時だったりするんですよね。

ただ、良くあるのは、
探求が諦められた瞬間、それそのものが姿を表すことがあったりするわけですが、
その時に感じた安心感を体験してみて、
すぐに、
あ!やった!諦めた時にとうとう現れた!
私は目覚めた!
と、すぐに体験を手にしちゃったりすることなんです。

そうすると、途端に
私は手に入れた!
と、また何かを掴んじゃって、
結局、掴み取りの探求の旅のループに戻っていっちゃうんですよねん。

そうやって掴んだ目覚めの体験もそのうち色あせてきます。
せっかく体験してやっと大丈夫になったと思ったのに、、、。
なんか余計に抵抗感を感じるんですけど!
ってパターンもあるっぽいです。

知らないうちに背負ってた荷物は、
以前は無意識にそんなもんだと思ってたんだけど、
この重さは降ろせることを知ったがために、
そして、降ろした時の解放感を知ってしまったがために、
同じ荷物を背負っても、以前よりも余計に重く感じてしまう。

みたいな感覚でしょうかねぇ。

なのでまた体験を求めたりしちゃうわけなんですが、
この「求め」が邪魔になったりしちゃうんですよね。

そんなこんなで、また求めちゃったり、
求めが抜けてそのまんまにリラックスしたり、
せっかくリラックスできたのにまた荷物を背負ってる!という思いに囚われたり、
あ、単に思いに囚われてただけか。。。と気づいたり、

そんなこんなを繰り返しちゃったりするかもしれません。

ま、そんな時には焦らないことだと思うんです。

そのうち、
あ、思いに囚われようが、リラックスしてようが、
その目の前の世界それがあるだけで、そこに行為者はおらず、
あーーー、それがあるだけなんやんかー。

そんなのわかりきったことなんじゃないかー。

ってねー。
なんか、当たり前やったんやんってのが明らかになってくるかもです。

「そうさ!そんなのわかりきったことさ!」
ってのが、そこでやっと腑に落ちたりするんですよね。

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