Life is like children playing house.

人生はおままごとのようなもの。

分離のなさと失う恐怖

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分離のなさはそのまま「愛」やということなんですけど、
同時にそれは、心と身体の死も意味するんですよね。

なので、分離のなさを目の当たりにするとものすごーく恐怖を感じたりすることもあります。
で、恐怖を感じると、どうしてもその恐怖を克服しようとしだすんですよね。
身体の感覚や心の感覚から離れようとする修行ってその恐怖と対峙するための修行なのかもしれませんねー。

 

でも、恐怖というのはあくまでも自然な現象ですので、克服はされません。
そりゃ、ちょっと階段の3段目から飛び降りるでー。といったような恐怖やったら、飛んでみてなんともなかったら次は怖くはなくなりますよ。
でも、根本的な恐怖っていうのは克服しようとすればするほど余計に取り憑かれますんでね。
なので、克服はしようとしなくても良くて、普通に居させてあげたら良いんですよねー。

恐怖への対峙の仕方は、その恐怖の存在を認めてあげることであって、それを押さえ込み消し去ろうということやないんとちゃうやろか?
と思うんです。

居させてあげるとね。
晴れてよし、
雨でもよし。
となるわけですね。

まあ、分離のなさを発見することって、
別に矢が飛んでくるようなものじゃありませんし、
鉄砲が飛んでくることでもありませんのでね。

うわー!死んでしまう〜!
って怖がることもないわけですよ。

なんも変わらんわけですのでね。
自分が悪魔に乗っ取られるかも!!!
って思ったりするパターンもあるみたいですけど、
悪魔ってう誰かが、ハロー!って言ってやってくることもありませんので。
あまり、自分の中のイメージを気にし過ぎないことです。
自分の中のイメージですのでね。怖がることもないわけです。

すると、
あ、ワシ、生まれたこともなかったから死ぬこともありえない。
ってなことが明らかになるかもです。

そもそも、いつの時点で生まれたんでしょうかねぇ?
お腹の中から出てきた時っていうのが一番多い考え方かもしれませんけど、
出てくる直前と直後でそんなに姿かたちが変わったたけじゃありませんし、
じゃあ、精子と卵子がくっついた時?
って考えて見ても、じゃあ、その前の卵子の状態はなんやねん?ってなりますのでね。

結局のところ、生と死があると習った時からあると見なしとるだけやったりするわけですね。

で、
じゃあお前はもう死の恐怖が無いんやな?
と言われますと、
んなわけないやん!
普通に恐怖感は起こるわい!バカにするな!
って話でしてね。

誰かが死んでも、普通に悲しみは起こるし、
感情がなくなる話やないんです。

ただ、遠慮せんで良い!という自由さがあるだけです。

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