Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

過去を癒すのではなく、今を癒せば良いんです。

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時間っていうのも観念の中だけにあるもんでしてね。
あるのは、今だけなんですよね。

で、この今が過去や未来を作り出しとるわけですけど、
もし、この今が何やら不幸なものとして設定している場合には、
過去の後悔といった記憶を手繰り寄せてしまったりもするかもしれません。

それが悪いっていうわけじゃなくてね。
単にそれを今、作り出しとるだけだったりするんですよねー。

 

例えば、恋人やパートナーと別れてしばらくたって、
今、新しい素晴らしいパートナーと出会っているのだとしたら、
以前の恋人とのあれこれについて後悔をするということはあんまりないかもしれません。
それよりは、新しいパートナーとの出会いもその別れがあったからかなー。
なんて感謝するかもしれませんよねー。

でも、今、新しい
パートナーとの出会いもなく、
なんだか孤独だわー。みたいな気分になってたとしたら、
もしかしたら、以前の別れについて感謝よりは後悔が出てくるかもしれません。

同じ記憶でも、今の状況でその記憶からくる印象は変わるんですよね。

未来っていうのも結局のところ過去の記憶からの予測でしかありませんので、
その過去の記憶を超えるぶんの未来は思い描けないんですよね。

それどころか、今、この瞬間でさえ、過去の記憶と習慣を引っ張り出して、
今を見ずに記憶の方を見てたりもするわけです。

自分の中にあるイメージの中に入り込んじゃうわけですねー。

このイメージは、それそのものをものすごーく限定してしまいますのでね。
どうにも不自由感、や窮屈さを感じたりもするんです。

このイメージへの執着が大きければ大きいほどね。

どんな世界も今、作り出しとるんですよねん。
ということは、世界は今変えられるという事でもあります。

何れにしても、過去や過去生の自分といったイメージを癒すよりはね。
今の自分を癒してあげたら良いと思うんです。

あなたはすでに祝福されています。
そうは思えない部分がイメージ上の幻想なんです。
これは別にお花畑的な慰めを書いてるわけじゃなく、
気持ちとしては、淡々と当たり前に祝福されとるよん。
っていってるつもりなんですけどね。

もっと正確に表現すると、
誰かに祝福されてるわけでもなく、祝福そのものがある。
それが全てなんですよねー。

あとは、祝福そのものである自分自身を認めるかどうかだけなんです。

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