Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

ええ奴にならんでもええねん。

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良い人になろうとなんてしなくてもええねん。
ってねー。思うわけです。

周りには良い奴がいるかもしれないし、自分もそうなりたいと思ったりするかもしれません。
はたまた、自分の嫌な面が出ちゃって人に責められるようなこともあるかもしれませんし、逆に人の嫌な面を責めたくなることもあったりしてねー。

それもこれも、
ええ奴でいなければならない!
みたいなね。

そんな観念がそうさせとるのかもしれませんねぇ。

 

探求に最中にはどうしても自分の嫌な部分と対面するようなことが出てくると思うんです。
ま、探求に限らず、生きてりゃしょっちゅうですよね。

そんな時に、
あー、まだ自分は足りないわ。
ってなるのは、どこかに
「ええ奴であらなあかん!」
っていう思いがあるからかも知れませんね。

みんなどこかで、自分はええ奴であっていたい。
ってね。
思ってたりするんですよね。

これもある種の自己防衛本能として起こっとるわけですけど。

自己防衛本能がゆーとることって、別に神の言葉でもないですから。
その本能の都合でゆうとることですからね。

真に受けて悩む必要もないんです。

ええねん。
わしゃそういう人間やねん!

ってね。
開き直るというよりは、そのままの自分をまず受け入れてあげる。

ダメを良しとするということじゃなくね。
そのまま、何の判断もなしに受け入れてあげたら良いんです。

判断は一旦置いておいてね。

きっと、そんな自分だからこそ得意な何かがあるわけですからね。

また、自分は足りないわー。という足りないと思ってる部分って、
実は結構、足りまくってるというパターンの方が多いんじゃないか?
と思ったりもするんです。

あー、自分は冷たいわぁ。優しくないわぁ。
なんて思ってる人って、実は優しい人なんですよね。

そうじゃなきゃ、足りないなんて思いもつかないわけですからねぇ。

あー自分は不真面目だわー。って思ってる人って、
真面目な人です。

あー、頑張りが足りないわ。
って思ってる人って、頑張り屋さんなんです。

足りないわーからくる罪悪感って、
見当違いの罪悪感なんですよね。

あー、自分は優しくないわぁ。と思う自分の優しさに、
あー、自分は怠け者やわー。と思う自分の頑張り屋さんなところを、
まずは受け入れて、愛でてあげたらええと思うんです。

大丈夫です。

どんな自分でも、存分に足りまくってるわけです。

わしゃ、ええ奴じゃないわー。と思うのなら、
もうすでに、あなたは存分にええ奴なんです。

自分を責めるのはお門違いだったわけです。
でもって、自分を責める分、人も同じようにさばいちゃうわけでしてね。

まずは自分のええ奴具合に気づくと良いんです。

ホントのあなた自身のええ奴具合に気づけたなら、
もう人を裁く必要性も失われます。

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