Life is like children playing house.

人生はおままごとのようなもの。

みんな、色々でみんな良い!

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みんな、色々でみんな良い!
ってねー。
全然違う価値観も受け入れてあげると、それで良いんじゃないのん?
って思うんですよね。

妙な思い込みを自分のアイデンティティーにしちゃうってのは良いですが、
それ以外は認められない!
私こそが正しいんだー!みたいな思い込みがあると、
そこに変な恐怖感を生じさせとるんとちゃうんか?と。

もちろん、みんな好きなことをたのしーにやれば良いと思うんですよ。

お金儲けが好きならそうすれば良いですし、
悟りの修行が好きならそれでも良いですし。

頑張るのが好きならそうすれば良いですしね。

そして、しんどかったら頑張らなきゃ良いわけでしてね。

正直、頑張ったり苦労するのってのも、全然正しいってわけでもなく、
「ワタシ!頑張ってるんでスゥー!」っていうのも、
単に、そういうのが好きなのねー。ってだけなんですよね。

「ワタシ!イチゴが好きなんですー!」って主張してるのと同じようなもんでしてね。

でもって、自分に起こってくるいろんな思いもね。
変に消し去ろうとしなくでも良いと思うんです。

 

阪神タイガースが好きなんです。

「そうなん?ま、別に良いんちゃう?」
てなもんなんです。

でも、どうしても阪神タイガースを応援しちゃうんです。

「ええやん。好きなんやろ?」

あれは、単におっさんがボール遊びをしているだけのことだということは
頭ではわかってるんです。
でも、どうしても阪神タイガースを応援してしまうんです。
阪神が勝つとなんか嬉しくなるんです。

「ええやん。好きなんやし。。。」
てなもんです。

ま、別にええやん。って感じですよね。
それと同様に、
分離が起こっちゃう!物語が起こってしまう!
っていうのも、ま、別にええやんって話なんです。
阪神が好きだろうが、物語が起ころうが、
何一つ損なわれもしてません。

あーまだ浄化が足りないわぁー
っていうのは、単に浄化が好きなだけですしね。

どっちでもええねんで。
どちらであろうと、「それそのもの」には変わりはありませんし、
どっちであろうと「それ」が影響を受けることはありません。
たんに好きやから見てるだけやんってことです。

好きっていうのは共感です。

嫌なの!好きじゃないのに見ちゃうの
って思ってても、それはやっぱり気になるから見てるわけですし、
見てるからには何かしらの共感があるわけです

キャッチボールは受け手がいないと成り立ちませんからね。
嫌いも好きも何かしらの受け口があるってことなんですよね。

よくある全てに無関心になるということでもないんです。

好きなら好きでええし、嫌いなら嫌いでええし、
何かしらの見方をすると、その見方に応じた見え方がするのは当たり前ですし、
ってだけの話です。

全ては幻想なんだったら、これも幻想なんでしょ?
みたいなことを解明しようとして、
いつの間にか、自分が作った幻想にハマりこんじゃうといったような
思いにつまづいちゃったりする場合には、
まずはそう言った思いがある自分を丸ごと許してあげたら良いと思うんですよね。

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