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Life is like children playing house.

人生はおままごとのようなもの。

私はいないの?それとも私が「それ」なの?

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おっへよぉございやす!
タクさんです。

元々は「それそのもの」しかありません。
コレってものじゃなくて、なんていうか、在るがあるだけ。
そして、それで全てであるわけですね。

じゃあ、なんでそこに「ワタシ」が生まれたんやろ??
ってなことを今日は書いてみたいと思います。

 

もともと、赤ちゃんの頃は「それそのもの」だったはずなんです。

でね。
実は、おとなになった今も、そこはぜ~んぜん変わってないんです。

ちょっとした誤解をしてただけだったんです。

それそのものしかなく、そこにくつろいでいたときにね。

やさしーいヒトが話しかけてくれたんです。

あなたはタクちゃんよー!
そして、ワタシがお母ちゃんよ!

ってね。

何度も何度も繰り返し、そうやって言い聞かせられましたのでね。

それそのものというのが、タクちゃん。。。
つまり自分なんや!

みたいなね。
そんな誤解が生まれたわけなんですよね。

え!?「それそのもの」って自分のことやったんや!ってね。

世の中にはそれそのもの以外にもお母ちゃんがいたんや!
ってねー。そんな誤解がここで生まれるんです。

「あらら、
お母ちゃんだけじゃないですよー。」
「あれが、お父さん。
あれは、近所のつよし君よ。
仲良くしなさいねー。」

・・・あの、ワンワンいってるのは?

「あれは、ワンワンよ。イヌっていうのよー。」

と行った具合にね。
どんどんそれそのもの以外のいろんなものが、それそのものの外に
出来上がってきたわけです。

そして、
「ほら~手を動かしてごらん?
グッパグッパ。」

・・・ん?難しいけど、、、
こいつ、、、、動くぞ!・・・

ぐっぱぐっぱ。チョキは難しいけど、、、

「あんよが上手!あんよが上手!」

ん、むずかしいけど、、、
こいつ、、、、動くぞ!!・・・。

「はい上手上手ー!タク君上手ー!」

・・・
そうか、、、このカラダもタク君。つまり自分なのか。。。

と、どんどん分離の観念が進んでいったわけですね。

「ダメよ!そんなに走ったら!怪我しちゃいますよ!」

あいたっ!
そうか、、、身体を損なうような、危ない目にあったら怪我をするのか。。。
そして、この身体を失ったら、自分も失われてしまうのか。。。

といったような、観念も生まれてきたわけです。

でね。
元々の本能の働きとして、身体には自分を守ろうとする防衛本能があります。
怪我をしたら治そうとしますし、一度痛い目にあったら、次回は避けようとするわけです。

これは、自然の働きです。

でも、身体=自分が損なわれると、「それそのもの」も損なわれてしまう。といった恐怖の観念が付け加わったりするわけです。
なぜなら、自分は「それそのもの」だからね。

その観念が本能的な恐怖を倍増させてしまったりするんですよね。

というわけで、今日のテーマである、
私はいないのか?それとも私が「それ」なのか?

については、どちらも正解ということですね。

最初に私という誤解が生まれ、「それそのもの」が私だと思ったんです。

私というのは、他人や他のものがないと成り立ちませんので、そこで分離の感覚が生まれたわけですね。

普段、僕らが感じている自分という感覚。この自分は「それそのもの」です。
僕らは「それそのもの」から離れたことはなかったんです。
たんにそこに私という観念を付け加えていただけですね。

分離の感覚が無くなると、私の意味は失われます。

私が成り立たなくなるんですね。

つまり、私はいない。ということになりますが、

私がなくなるわけではなくて、「それそのもの」として今まで通り残るわけです。

それそのものの中で起こっていたあらゆる観念も「それそのもの」だったわけでして、
何も失わないんですよねー。

おっと、言葉の限界がやってきたみたいなので、今日はこのへんで〜♪

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