Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

覚者も悟ったヒトもいてません!でもってなんの役にもたちません。

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覚者なんていてませんよ!
悟った人なんておらんわけです。

悟りっていうのは、
例えば、
女性へのプレゼントはモノよりも渡す演出が大事なんだ!その演出にモノも含まれる。
金額の高い低いではないんだ。。。

みたいなもんと同様に気づきみたいなもんを意味するわけでしてね。

その気づきに持ち主はおらんわけです。

 

ってナンノコッチャ?って話ですが、
たまーにね。
悟った人やこういったことがわかってる人は、不安とかもなく、毎日ハッピーで、
悟りきった生活をしとる。

みたいな誤解があったりするんですけどね。

なので、自分も悟って不安から解放されたい!ってね〜。
思ったりするのかもしれませんけど、

単なる気づきに持ち主なんて最初からいてませんやん!っていう明らかさがあるだけでしてね。
それが明らかになったら、自分も楽になる!
みたいに思いがちですが、
持ち主。つまり自分っていうのがおらんかった!という気づきが自分に起きる。
って、
どないやねーんっていう矛盾があるわけでございまして、、、
そういうことじゃないんです。

自分がどうにかなるっていう話じゃありませんし、
何かが特別になるって話じゃないってのは、ことあるごとに書いてたりするんですけど、
こういう誤解って結構根が深いのかな??って思います。

「あの先生は悟ってない。なぜなら、あの時えらい怒ってはったから」
「あのスピーカーは偽物だ!だって勝負事に必死だから」
みたいな批判?嫉妬?もあったりするんですけど、

これって、アイドルはう◯こしません!って言ってるのとおなじような構図で、ある種の覚者信仰なんですよね。
つまり、誰かがブッダになるわけじゃなく、みんながもうすでにブッダなんですが、
このみんなっていうのも、個別のブッダがたくさんいる。ってことじゃなくてですね。
すべての働きには区別できる線引きなんてことはできなくて、
そしてその働きがもうすでに「それそのもの」やん。
といった話なんですね。

よく、全てはエネルギー。
なんて言われたりしますが、エネルギー?ってどういうこと?
って思ったりするかもしれませんけど、
エネルギーとは、働きのことですね。

風はビューって吹いている働きですよね。
炎はメラメラと燃えてる働きです。

こういった働きしかなくて、どこからどこまでが炎で、どこからどこまでが風である。
といったような線引きって無理くり勝手に脳内イメージで当てはめてるだけで、そんな実体はありませんよね。
ってことなんですねん。

水は流れて、いずれ気化して雲になります。
雲は雨を振らせて大地を濡らし川の流れとなり、
太陽の光が届きにくいと温度が下がり氷となり、光が届くと氷は溶けてまた流れはじめる。
その流れはまた、いずれ気化して雲となり・・・。

ってねー。
そうやってただ、働きだけがあるわけですが、その一部分をつまむと、
それは水である。
となり、
はたまた、あれは雲である。

ってなるわけですよね。

ですが、ここにホントは個別性はないわけです。

卵からオタマジャクシになり、足が生えて、手が生えて、、、
やがてカエルとなり、卵を産む。。。

っていうのも、流れが働きとして起こっとるわけですね。

この働き以外にはな~んもないわけです。

ヒトは頭がいい。というか、イメージ化、物語化、分離化が上手なので、
カエルが生まれて、カエルが死んだ。。。
ヒトも生まれては死んでいく。。。

といった観念を作り出しているわけですね。
イメージの中だけで。

・・・

うん。
何となく分かるんだけど、
それがわかったところで、
「それが何の役に立つわけ?」

ってねー。なるわけなんですが、

「な~んの役にも立ちませんよん」

ってことなんです。

役立つモノ集めをしなくても、
ちゃーんと起こることが起きてくれるってことなんです。

なにかの役に立つもの集めが、悟りだか非二元だかを何か特別なものにしたがっとったんです。

物語がまだ起こっちゃうよぉー。って悩んだりすることもあるかもしれませんが、
それで良いんですよ。
それが正常運転なんです。そのまんまなんです。

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