Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

理由がないと始まらないという思い込み

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なんか妙な理由を持っちゃったりすると、身が入らなかったりもするよねー。
って思うんです。

逆に理由がないと何も始まらんって思っちゃったりもね。

本来はね。ノリでやっとるはずなんですよね。
どんなことでもね。

でも、ここに妙な理屈や理由を持ち出すと、ノリがノリじゃなくなる。
ってなことがあったりすると思うんです。

ちゃんと身を入れてやらなきゃならん!みたいなね。

なんの話やねん!
冒頭から!
って思いますよね。

えっと、
理由がないと何かができないという思い込みと理由のせいで身が入らない。
っていうお話です。

 

例えばね。
よっしゃ!
ワタクシ!今から音楽を聴くであります!
よーっし!聴くぞー!音楽を聴くぞー!
でも、しっかりと聴かなきゃなー。一音も聞き洩らすまい!!!

みたいなね。
そんな感じで普段は音楽を聴いたりしないじゃないですか。

そういう仕事をしたはる人なら、そういう気合いみたいなもんもあるかもしれませんけど。

起こってることがノリで起こってて、ノリのままに起こらせてたなら気にはならないことが、そこに理由を持ち込むことによってなにやら不自由になったりすることってあるんじゃないかなー?って思うんですよね。

こういった非二元の話もね。
なんかふぁっ!っと来たー!よっしゃわかったー!
ってなっても、その後、
「あ、来月の家賃どうしよ・・・。」
っていう思いが出て来て、
「あれれ???ワシ、わかったからもう家賃ごときには動じない自分になったはずなのに、また以前の思いが出て来た!!!」
「クッソー。まだわかってない部分があったのか!」
ってねー。
わかったとまだまだだ!を行ったり来たりしちゃったりすることがあったりするかもしれません。

これもね。
結局わかったことに理由を欲しがるとその理由の不自由さに取り込まれちゃったりね。
してるワケなんです。

理由って勝手に作られた概念の条件みたいなもんなんですけど、
なにかしらの理由があるはず!
全てには理由があるはず!
っていう観念がね。
なにかと理由を欲しがるワケなんですよね。

そんな理由なんてあれへんねんで。。。
っていう教えが非二元の話やったりするわけなんですけど、
よっしゃー!
理由がないのはわかったぜー!
ってなっても
その「わかった!」を原因と結果の世界に持ち込んで、
わかった!という原因(理由)が、自分を自由にするはず!
といったような概念を作ったりするんですよねん。

この原因と結果という観念が、ありとあらゆる想像上の物語を作っとるワケです。
この原因のことをカルマと呼んだりしとるワケですね。

でもって、こういう物語を作って何かに対処しようとするのはもう本能ですのでね。
これを終わらせるぜ!って話でもないワケなんですよね。

そういう本能があるのなら
それを滅却する道ってのがあるはずで、
その道が悟りの話だったり、非二元の話なんとちゃうのん?
って思ったりするかもしれませんけど、
そうじゃなくて、
単にそういった本能が起こってるのねー。
っていう明らかさがあるだけの話です。

なので、べつに何かがわかったからといって、
「ワタシ。もう何にも動じませんの。」
「愛に奉仕する表情しか出てきませんの。。。」
キラキラキラーン。。

ってな人になる訳でもないわけです。

もちろん、気づきの副作用として楽になったり、そういった感じに見える場合もあるかもしれませんけどね。

以前、僕と同業者(デザインのお仕事)の方から以下のような質問をいただいたんですけどね。

「デザインは仕事上、問題解決だとかシズらせる、などなど、 一日中ストーリーや幻想の中で妄想を膨らませる必要に迫られると思うのですが、日々どのようなスタンスでお仕事されているのでしょうか。 私は瞑想をしたりただ在る存在になってから、商業的に無理やり創造する仕事にあまり身が入らなくなってしまいました。」

読ませていただいて、
へー。偉い人やなー。俺なんていつもテキトーにやってるのに、
って感心した後、すっかりお返事をするのをわすれてたんですけど、、、

ここでいう幻想って、問題がない中で問題解決をしなきゃならん!
みたいな矛盾だったりすると思うんですけどね。

全ては幻想だ!が一つの観念になっちゃうとね。
こういった矛盾が許せん!ってなったりしちゃうことがあったりもするんですよね。
でもそれだと、
問題だー!って問題に同一化してるのと同じだったりするんです。
問題がないのに問題解決するなんて!!っていうのも、
「それ」を概念化して自我ちゃんのまな板の上に持ち込んでいる。
っていうことでしてね。

僕はあまり、スタンスって無いんですけど、
スタンスなんて別になくてもええやん!って思っとる訳です。

僕の場合なんかは、身が入らないことの方が多いもんですのでねー。
仕事中も
ふらっと散歩したり、ネットをぼーっと見てることも多いんですけどね。

以前インタビューかなんかの収録中に暇やったもんでスマホゲームしたろっと思って、ゲームを起動させたら、
音楽がオンになってて、ちょっと焦っちゃいましたけど、、、。

そのくせ、あ!こういう風に作ってみよう!って思いつくと、
スッスッス!と仕事が進んだりもします。

もう、マジでほっといてやると、なんか仕事が進んだり、
全然進まなかったりが、勝手に起こってくれるんですよねー。

あまりにヤバい!ってなってくるとだいたい動いてくれますよ。
多分。。。(笑)

ずっと身に入らないなら、それも良しです。
他になにかオモロイことが出てくるっていうことかも知れませんのでね。

何れにしても、身に入らん!っていう思いがある間だけその「身に入らん!」があるだけでして、
問題解決だー!もそれがあると思っている間だけそれがあるように見えてるだけです。
もんだいがないのに問題解決だーという芝居にはついていけんっ!っていう思いがあるのも、そう見なしている間だけなんですよねー。

となると、スタンスの無意味さも明らかになってきちゃう訳でして、
スタンスがある間だけスタンスがあると見なしている。っていうね。

と、いう訳で、
なんだか話がとっちらかってきましたので、今日はこの辺にしておきます。
まったあっしたー!

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