Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

先に好きな在り方でおったらええですねん

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「わー嫌やわぁ」
ってなことがあると、やっぱりなんとかしておこうって思いますよねぇ?
とにかくこの嫌っていうのを抑えとかないかん!
ってなことでねー。

何かしらの問題は早めに解決しとかないかん!
っていうことでね。

ま、簡単に解決できるようなことは、問題にすらなりませんので、
問題になっとるということは、自分の中でどうにも解決できん!
ってなってるようなことであって、
それをどうにかしたいー。ゆーてねー。
ぐるぐると頭の中を駆け巡るわけですね。

そーなってしまいますとねー。
結局のところ、道具に支配されてるといいますか、
妙な心に支配されてしまっておりますのでね。

ま、この妙な心配も自分であって、自分で問題を作り出し、
自分がこの問題に対して不安を解消しようとするっていうループになってしもてたりしますからねー。

この問題も自分が持ってる何かしらの概念から来とるわけだったりするんですよね。

 

ま、
わー。なんか嫌やわぁ。
っていうようなことから、どうにかしようを始めるんじゃなくて、

先に、どういう在り方が良いのか?
っていうこの在り方をもう先にやってしもたら良いと思うんです。

お金が欲しいっていうのがあったとするならば、
本当はお金じゃなくて、心配のない状態ってのを望んでたりするんですよね。

だとすれば、どんな在り方になってるのか?
この心配のない状態を望んでるということになるわけです。
「ふぁー。心配もないし楽やわー。リラックスやわー。」
てな感じのリラックスを求めてるんやと思うんですよね。

このリラックスを求めて、心配事がなくなれば、そうなるんとちゃうやろか??
ってね。
心配事の方をなんとかしがちなんですけど、

「ふぁー。ええわぁ」を先にやったったらええねんってねー思うわけなんです。

実は、
どうあるかについては手段は必要ないんですよね。

思い込みの方で、勝手にこの心配をなんとかしないとリラックスできん!
って思い込んどるわけでしてね。

で、この心配の方も、勝手に思い込んでるもんですし、
さらには、この心配に至る原因の方も自分で作ってる仮定でしかなく、
この仮定を成り立たせる大前提もイメージとして思い込んでた意味のないものやったりしてねー。

しかも、心配事をなんとかしようとしても、次から次ですのでね。
ゴールがないんです。
これは悟りも同様で、悟りを手に入れようとしても、
いつまでたっても「悟った!」という状態はやってこないんですよね。
なぜなら、そんなもんは無いからなんです。

ま、何にもなさが「それ」な訳ですけど、何にもなさとは何なのか?
ってね。
探し求めたりするわけなんですね。
そうすると終わりが無いんです。

なのでもうしょっぱなから、
ふぁーってリラックスしてしもたらええんですよね。
するとあとは勝手に起こることが起こってくれるんです。

そのために必要な手段なんてものは無いんですよねん。

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