Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

それそのものを思い出す

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「それ」そのものは、未知の何かじゃないんですよね。

あ、、、、それ知っとった!
でもって「それ」を失ったことなんてなかった!

っていう気づきなんです。

って聞くと、じゃあ、そう感じないということは
何かを忘れている?って言うことなのか???
というとそういうことじゃないんです。

忘れているんじゃなくて、「それ」の中で、その一部にフォーカスしてるだけなんです。

 

じゃあ、フォーカスしてる自分っていうのがいるのか?
フォーカスしてるつもりはないんだけど、、、
って思うかもしれませんが、そういうことでもなくてですね。

全部である「それ」そのものをギュッと収縮させてるって感じなんです。

自分という架空の入れ物に、ギュッと収縮させてるって感じです。

なので、自分という感覚はずっと在るように感じてたりしますよね。
この在るだけは変わらないんです。たんにそれが「自分」ではないってことに気づくんですね。

「自分」っていうのは、
生まれてこの方ずっとあるように思ってるかもしれませんが、
この「自分」。
いつから居ましたか??

物心ついたときからでしょうか?
中には生まれてすぐにあった!という人もいるんでしょうか?

お腹の中の記憶がある方もおられるかもしれません。
でもその記憶があるからと言って、その時点で自分が居たとはなりませんよね。

その記憶をはじめて思い出した時はいつでしょうか??

ちなみに、僕も0歳の時の記憶があります。
でも、0歳の時は自分という意識はありませんでした。
その記憶を思い出したのは物心ついた時だったと思いますが、
そのときにはすでに自分という意識はありました。
ま、言葉を使い始めるとともに自分を確立していった感じですかね〜。

皆様もだいたい物心がつき始めた時に、「自分」を徐々に確立していったんやと思うんです。

そのうち、その「自分」の中で、お母さん、お父さんが出来上がっていき、
また、「自分」の中で、僕のお菓子!とか、私のおもちゃ!とかが出来上がっていき、
そのうち、「自分」の中で、時間というものも出来上がってきたわけですね。

そしてその「自分」は生まれたときから「自分」だった!
みたいな、事実とは異なる認識を持ち始めたりするんですよねー。

僕らは子供の頃から延々と身体を変化させてきとりますよねぇ?
僕だってハタチの頃のイケメンさがすっかり影を潜めるようになってきましたし、、、(笑)

ま、それはともかく、
物心ついたときから「自分」があったのだとしても、そこで急に身体が自分になったわけじゃないですよねぇ?

その前にも身体はあったわけですし。。。

オギャーと生まれた時に急に身体が自分になったわけでもないですよね。
生まれる直前と直後でも、手足も顔もあったわけですからねー。

お腹の中と外という違いはありますけどね。

じゃあ、胎児として形作られてきた時に自分になったんでしょうか?

それとも、受精した瞬間に自分になったんでしょうか?

受精以前に、卵子と精子ができた時に、2つの自分がいて、それが一個になったんでしょうか?
この卵子や精子だって、できてくる前の状態があったわけで、そこが自分なんでしょうか?
となると、お父さんとお母さんと自分はいつから分かれたんでしょう??

それとも、、、、

「単なる変化に無理やり自分という概念を付け加えてるだけなのではないしょうか??」


ま、というわけで、話を戻しますと、
そうやって、いつしか作られた「自分」という概念に、
「それ」そのものをギュ~ッと詰め込んでるわけです。

「それ」を収縮させてるわけですね。

ホントに収縮してるわけやないですよ。
そう見なしとるんです。

で、この収縮を維持させるためにありとあらゆる観念で補強しとるんですよね。
収縮させた分、外の世界という観念を作らないといけませんからね。

この観念のウソさが明らかになってくると、補強が弱くなってくるというわけですね。

「それ」そのものは今もあるんです。

ふぁっと収縮が解けたとしても、「それ」そのものに変化はないんです。

ただ、見なしていた収縮が解けるので、副産物的にエネルギーの解放といった感覚を得るかもしれません。

でも、この解放感が「悟り」とかそういうものじゃないってよく書いていますが、
それは、そういうことなんです。
たんなる副次的なもんでしかないわけですのでね。

解放感を悟りと勘違いしちゃうと、そういった体験をまた「自分」といった収縮の中に持ち込んじゃうんですよね。

そして、悟った自分を作っちゃったりするっていうね。

そうなると、今度は解放感よ!もう一度!ということで、また「自分」の外への探求が始まっちゃうわけです。

そんな「自分」の外というのはありませんので、そういった探求の先にゴールはないんですよねー。

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