Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

今しかないとは?

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時間はない。っていう言葉はこの界隈ではよく言われておりますよね。
こう何度も聞いてたりすると、なんとなく知識ではわかっちゃう。
なんてことになっちゃったりしてることもあったりするんですけどね。
というわけで、今日は「今」について書いてみたいと思います。

 

時間っていうのはありませんのでね。
今しかないわけです。

で、その今が変幻自在に生きてるわけですね。

そして、この変幻自在の今が本来の自分であって、
そんな今の中で、夢想をしていたりするわけです。

この夢想から覚めることが、ま、目覚めって感じですね。

過去っていうのは記憶の中にあるイメージですし、
未来っていうのも、実は過去のイメージから作り出した物語なわけですね。

夢想してようが、どうだろうが今しか生きられないんですよね〜。

で、この変幻自在の今は、二度と同じ変化は起きてこないんです。
そんな貴重な今を夢想のなかで見失っちゃったりしちゃうわけですよねー。
夢想中は変幻自在の今の「生」を見逃しとるというわけです。

なので、夢想を置いておいて、目の前のことを思う存分味わい楽しんで見るといいと思うんです。
いつかの未来のためや、過去の罪悪感の反芻なんてもんは一旦置いておいてねー。

「一期一会(いちごいちえ)」って言葉がありますけどね〜。
それは、今を存分に愉しめばええねんで。
っていうメッセージとちゃうんか?と思います。
いや、知らんけどね。

二度と同じことは繰り返されませんのでねー。
成功も、失敗も、楽しく味わえばいいと思うんですよね〜。

それが三昧(ざんまい)ちゅうわけですね。
いや、知らんけどね。

ま、仏教用語なんてどうでも良いんです。
あれだって当たり前のことを表現してるだけの言葉ですのでね。
昔の言葉やから、なんか妙な説得力があったりするだけです。

ま、それは置いておいて、、、

過去を反芻して、後悔する必要性ってないんですよね。

終わったことは成功だろうが失敗だろうが実はもうどうでも良いことなんです。
終わったことですのでね~。

このドウデモイイが極まってくると、
将来、後悔しないように、ああしようかな?こうしようかな?
といったような妙なしがらみを感じなくても良いってことになってくるんですよね〜。