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Life is like children playing house.

人生はおままごとのようなもの。

気分が現実を作る??

それのこと

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景気ってあるでしょう?
あれってどういう原理でよくなったり悪くなったりするかと言いますとね。
みんなが、
「金ならまた入って来るがなー!
ジャンジャン使ったれー。」
ってなったら景気はよくなって、
「あかんあかん、金ないし節約して行かなあかん!」
ってなったら悪くなるんですよね。
景気の気っていうのは気分の気。
な訳です。
自分自身の世界が、自分の気分っていうフィルターを通して見てるのとおんなじで、
集合の意識は集合の意識を通して社会を見とるんですよね。

景気だけじゃなくて、
ありとあらゆる社会の風潮も気分が作っとるだけなんですよね。

でもって、この集合意識も個人が見たい集合体を選んで見とるわけでして、
結局自分が見たい世界を自分で見とるっちゅうわけですね。

例えば、グーグルで何かを検索して調べてるとしてもね。
それも結局のところ自分が見たい答えを探して、
そう言った同じ意識からくる答えに導かれてるワケでしてねー。
予定調和のようなもんで、見たいもんを見て、
やっぱりそうやったんかー。って確かめてるにすぎなかったりするんですよねん。

例えば、陰謀論とかもね~。
なに?その都市伝説www
ウケるわー。本気でそんなんあると思ってんの?
って感じで調べだすと、同じような考えのウェブサイトがヒットしてそっちを見て共感することになりますし、

いやいや、世界は陰謀に満ち溢れとる!って信じていてね。
政府の陰謀や!そしてその裏にはフリーメーソンの存在がっ!
おっと誰か来たようだ、、、。
って思ってたら、そんなウェブサイトを見て共感するワケですからねー。

で、もっと言ってくと、
そもそも見てる個人ってのはいてなくて、
単に観念があるだけでしてね。
観念っていうのはなにかを信じているっていうエネルギーのようなもんなんですけどね。
この観念を信じてる度合いによって、
観念はどんどん固定化し、
その固定化された固定観念が、信念として色濃くなり、
さらなる観念を作り出し、、、。
ってやってるだけでして、

でもって、この信じてる度合いが、単にリアリティ感を持たせてるだけであって、
このリアル感ってのは、単に観念を信じてるからにすぎないワケでしてね。
その観念の一つにワタシという観念があるだけやったりするんです。

この、単に信じてるだけっていう単純さが見抜けてくると、
へ?
もしかして何かを理解しようとするってことも、単に信じてるだけ??
それだけやったん??
ってなことも明らかになってくるワケでしてね。

イヤイヤイヤ、そしたら自作自演ですやん。
ってねー。
なってくるわけです。

ウホホッ!
この石ころをダイヤと呼ぶことにしようぜ!
この紙はお金ってことにしようぜ!
ってやってただけ???

ってなことも明らかになってくるワケでして、、、。

ふぁー!

自作自演のウソさが見抜かれると、なんていうか生命感みたいなもんしか残らんやんけ!
この生命感にいろんなリアリティをくっつけて味わいたかったんやん!
だからわざわざ分離した気分になって生命感を感じてただけやん!

生命感を生命感が再認識してただけやったんやん!

欲しかった幸せも。この生命の躍動を感じることやったんやん!

あーーーーー!

しかもなんもせんでもこの躍動はへることさえなかったんやーーん!

減らへんから、死ぬこともないやん!
死がないってことは生もないやん!
ってなって来ましてね。

ワタシどころか、生も死も観念でしかないってことが明らかになるワケでして、
分離もなく、
躍動と完全な静寂が完璧に同居している「それ」。
それだけがあるだけやったんです。

「それ」をわかるための、何かしらの条件も、担保も必要なかったんです。

つまり、わかることすら必要がなかったんですね。
わかろうということ自体が単なる誤解やったわけでね。

ということは、もう意味を探る意味もなく、
わかろうとしてたエネルギーは、単なる観念の中で起こる同化のエネルギーにすぎなかったワケでして、
この同化のエネルギーが、観念にさらなる観念を作り出しては引っ付けて、をやってただけでね。
行為者のいない一人相撲を見せられとっただけかいな!っていうねー。
空の雲の動きをマジマジと見ながらその雲の形の意味づけに躍起になってただけかいな!
っていうね。

んなことも明らかになってくると、もう悟りとかwww空(くう)とかwww。
んなもんもぜーんぶ観念ですからー。ザンネーン。古いけどー!

てなことになってくるワケでしてね。

まあ、そういう単なる当たり前が明らかになることを、単に悟りと表現されてただけでして、
それが言葉として大げさになっとっただけだったんですね。

なので「それ」とは、忘れてた「当たり前」が明らかになるって感じでしてね。
その感じが夢から覚めるっていうのと似てるんです。

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