Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

イエース!フォーリンラブ!

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おはようございます。

皆さんご機嫌な毎日をお過ごしでしょうか??

まあ、あれですねー。
フォーリンラブってオサレな言い回しですね。

日本語だと何になるんですかね?
「月が綺麗ですね」になるんですかね?

恋をする。
じゃなくて、
落ちるってところがオサレじゃないですか!

ねぇ。。。

で、
冒頭から何を浮かれたことを言っとるねん。
ってことなんですけど、

つまりね。
人って自分でコントロールして自分で生きてるって言うわけじゃない。
自分で決めてるようで、ホントは自動的に起こることが起きておる。
ってことが言いたいんです。

そもそもねー。
心とか体とかね。
そんなもんがコントロールできるようなもんやったら、
もう悩みなんてないはずなんですよ。

だって、ええことだけ考えとったらいいわけですからね。
わざわざ悩むようなこと考えなくてもいいわけですし、

コントロールはできないわけなんです。

自分の人生だと思ってることもねー。
コントロールしてるように見えて、実はしてないんですよね。

フォーリンラブだってそうですよねー。

うーん。そーだなー、
明日からはこの人に恋をしようかしらねー。

なんて思ってするわけじゃないですからねぇ?

落ちるわけですよね。

落ちるっていうことは、
つまりはコントロールを離れとるというわけですよね。

でもねー。
どうしてもコントロールできないってことは恐怖だったりするんですよね。
その恐怖っていうのは、
自身を守ろうとする本能から来とるわけなんですけどね。

それが本能が過剰に反応しちゃうと、恐怖心が増してきて、
よりコントロールしなければ!みたいな観念に絡め取られちゃって、
本来の流れを滞らせるような感覚になったりするんだと思うんです。

するとね。
その滞りが余計にコントロールしなきゃいけないといった観念を生み出し、
流れに逆らおうとすることによる摩擦が、ストレスのように蓄積していったりしてね。

妙に自分がギクシャクしていったりするんですよね。

ある程度の恐怖感は仕方のないことなんですよね。
だって、それが自然な本能なわけですから。

でもそれを許せない。受け入れられないとする観念が、
どうしてもコントロールしようと流れに抵抗しちゃうとねー。

その抵抗の時に起こる摩擦によって消耗しちゃう。

またそうやって、摩擦が起きていることによって、
なんとかコントロールができてるんとちゃうか?

みたいな錯覚も起こしてたりするんですよねん。

でもそれって、大河の流れに対して、手で水をせき止めようとしてるのに似てるんじゃないかな?
なんて思ったりもします。

その手の中だけを見たら、なんとか流れをせき止めてるように見えるかもしれないけど、
流れ自体は全然止められてない。

みたいなねー。

あるがままでいるっていうのは、荷物を降ろしてホッとリラックスする感じなんですが、
その荷物の重さって、流れをせき止めようと、大河の流れにかざしている手のひら。

その手のひらに押し寄せてる流れの重さのようなものなのかもしれません。

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