Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

あなたは光。光そのものですの。

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あなたは光そのものですの。
そしてあなたの前に見えてる世界は全て、あなた自身の光の反射なんです。

あなたは光であるがゆえに、その輝きを知っているのですが、自分自身がその輝きだということを忘れているから、その輝きを探す旅をしているの。

デュフ・・・
デュフフフフ・・・・

というわけで、
スピっぽい話から初めて見ました。

おはようございます。
タクさんです。

僕のこのブログでねー。
観念を見てみるんですー。

ゆーてね。
書いてたりするわけなんですけど、
この観念って結局のところ、
目の前の世界、その全部が観念なんですよね。

捉えた時点でね。

つまり、あなたが見てる世界。
その状態が全て観念なんです。

一昔前に「鏡の法則」ってなのが流行ったのを覚えてるんですけど、
見てる世界っていうのも自分の観念による投影みたいなもんなんですよねー。

それでいて、その観念も含めてそれそのものでもあるんです。

これの説明としては、冒頭の光の例えはよくできてると思うんですよね。

それそのものとは光のようなもので、
すでに自分は光なんですよね。

でも、何かを捉えようとした時、光は光を認識できないわけです。

光は周りを照らし、あらゆるものを反射させます。
その反射されて光も、自身の光と同じものなんですよねー。

で、それだけなら何ら問題はないんですけど、反射されたものを認識しようとすると、光と影の輪郭でもって理解しようとしてしまう。

そこで、影という存在を作り出すんですよねん。
で、この光と影の輪郭を観念として認識する。

みたいなねー。

本当にあるのは光だけなんですけど、その中で観念というイメージがあって、
その観念が物語の素材。
おままごとの役割のようなものになって、
物語を展開していく。

ってな感じでね。

でも、そうやって、
いろんなが起こっているように見えてても、あるのはその光だけ。
「それ」だけなんです。

ということは、この観念に同化せずにそのまんまにしておけば、
ただある「それ」に溶け込むことになるんですけどねー。

この観念への思い入れが強いとそれが信念となり、
この信念によって感情というエネルギーが発生するんですよねー。

信念が否定されると恐怖や怒りとなり、肯定されると嬉しい感じになるわけです。

信念の中でもひときわ大きいのが私がいるという観念から出てきた「ワタシ」という信念なんですよね。
それが損なわれると、全てを失うような恐怖が生まれます。
死ぬんちゃうか?死んだら「それそのもの」である光すら消え失せるんじゃ無いか?
といった観念も生まれるわけですね。
そうなると自分という信念を強化し、守るための観念も生み出し、そして信念として強化していき、さらにその信念から新たな観念が生まれ、、、と繰り返していくんですよね。

感情は観念、信念に同化させる接着剤のような役割を果たすんです。

なので、
感情というエネルギーが起こってるときは、ははーん、何かしらの信念に対する同化が起こっとるんやな?って気づくチャンスでもあるんです。

あらゆる信念は、観念が強化されたものであって、この観念も、作られた単なるイメージでしかなく、大物の観念である「ワタシ」というものも単なるイメージでしか無いとなってくるとあらゆる観念のウソさが見抜かれ、「それ」だけが残るんです。

それが光であり、反射された光も光そのものと同じものであって、その光の中の観念の中で一人相撲をしてただけやーんってのが明らかになるんです。

それでいて、どんな信念を持っていてもそれは全く自由でもあることも明らかになるんですよね。
なので最初っから完璧であり完璧から離れたことも無かったんです。

光そのものに溶け込むとそこに影は無くなるんです。

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