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Life is like children playing house.

人生はおままごとのようなもの。

一瞥や何やらの体験の後に目的を見失うとき

一瞥体験

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おはようございます。タクさんです。
一瞥とか、何やらの体験の後にねー、よく起こりがちなのが、
なんか目標を失ったような、目的を見失ったような感覚だったり、
この体験はなんだったのか?と掴み取ろうとする動きだったりねー。

そういうのってよくあるんです。

今まで、何かを掴み取って理解して、成長してきた。
みたいな感覚の中でずーっと生きていますとね。

もうその感覚が染み付いておりますもんですからね。

で、何かしらの体験で、成長してきた中心である「自分」がフット落ちるとするじゃないですか。
するとねー。
いままで、何かを掴み取って成長していかなければならない!という思いから来る重さから開放されたようなね。
そんな気分になるわけですが、
その反面、何かを掴み取って理解するという感覚はまだまだ染み付いておりますので、

あれ、、、何もないからもう掴み取らなくてもいいのがわかったけど、
掴み取らなきゃ何も理解できない。。。

みたいなね、ジレンマに陥ったりしちゃう場合もあるんですよねん。

で、どうしても自分の体験を確かめて掴み取っておこうとしちゃうわけなんですね。

すると、それって掴み取れないものですので、どうにも落ち着かなくなってくるんです。

この体験、正しかったんか???
あれ?
あれれ??

みたいにね。

なのでねー。

そういった方向感覚を見失うような感じってあるらしいよねー。

ってね。
そういうことを一応、頭のスミに置いておくと良いかもしれません。

ずっと馴染んできた
「掴み取って理解していく」
っていう感覚が残っとるだけですから。

扇風機のスイッチを切っても、しばらくは慣性で
羽は回り続けておるじゃないですか。

急にバチッってストップしてくれませんからねー。

そういうのに似てるんです。

はたまたスイッチが入って羽を回したりもするかもしれません。
すると余計に「あかん!あかん!止めなあかん!」ってね。
焦ることもあるかもしれません。

でも、今まではスイッチが切れて止まってる状態さえ知らなかったわけですからね。
その焦りも、止まってるというリラックスを知ってるから起こっとるわけですから。

なので、焦る必要もないんです。

そこでスイッチを止めようとすると、逆に「強」ボタンを押してもうて、
余計に強く回ってしまう。

ぶおぉぉぉー!って、

そこで気づくわけです!

うわ!!この扇風機!!!「切る」のスイッチがあらへん!!!

ってね。

なんか、そんな感じなんですよ。

でも、この扇風機の動力源であるコンセントは、自分にささっていて、
この「どうにかしよう!」っていうエネルギーが扇風機の動力源になってる。
みたいなね。

めっちゃわかりにくい例えかもしれませんけど、そんな感じなんです。

こういう焦りもね、温かく見守ってあげると良いかもしれません。

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