Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

何かに光が当たっても、陰に包まれても、何かが変わることはないわけでして、、、

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おはようございます。
デッサンが苦手なデザイナー。
タクさんです。

いやねー、学生時代なんですけどね。
絵を描くのは好きなんですけど、
めっちゃ絵が下手だったんですよね。

で、デッサンを習ったら上手くなるのか?
ってね〜。
デッサン教室を覗いたりもして見たんですが、
あんなチマチマした作業を何時間もカッタイ椅子に座ってやってられるかー!

ってね〜。
デッサンも全然あかんかったんです。

で、美大は諦めて、普通の大学に行ったわけですが、
大学も卒業ってことになって、
仕事は嫌いなんですけど、何かしらの仕事はせなあかん。。。
ってなことでねー。
ま、今はデザインの仕事をしておるわけなんですけど、

デッサンってね。
まあ下手くそがいうのは何なんですけど、
あれって、カゲを書いていくんですよ。

普段黒いと思っているモノものね。
光が当たっている部分は真っ白ですし、
黒って色を見てる時点で、実は黒じゃなくて光なんですよね。

僕らの目って光の反射を見てるわけですから、
目に見えてるもの全部が光なんです。
で、光があるなら影ができるわけです。

デッサンではものの形とカゲを書き写していくってわけなんですねー。

光があれば影がある。
っていうわけですわ。

どっちが良くてどっちが悪いとか、
そんな区別もなく、意味もなく、
ただ、光と影があるわけでねー。

僕はよく、瓶なんかを描いたりしてたわけですが、
その光と影の当たり方によって、
この瓶は全く違う姿をしとるんですよねー。

光がガンガンにあたってる瓶。
暗がりの中、うっすらとした光の中に佇んでる瓶。

これらはねぇ。
もう全然違う描き方をせなあかんくらい違うんですよね。

で、何が言いたいのかと言いますとねー。
光が当たってようと、
暗がりやろうとね、
瓶自体は何の影響も受けてないっちゅうことなんです。

あまりに影が濃いと瓶が割れてしまう。
影の力で割れてしまう!!!
なんてことはないわけでございます。

ほら、
僕らってやっぱり、楽しいのがいいじゃ無いですか。
で、悲しいのは嫌やってね〜。
思ったりもするもんですけど、

生きとったら、楽しいこともありゃ、
泣きたいこともあるわけですよねー。

泣きたい時はね、泣けばええんですよ。
それがなんか悪いことなのか?というと
全然そうじゃないと思うんですよね。

影が瓶を破壊することはできないのと同じで、
本来のあなた自身は、笑ってても泣いてても、
どっちでも、包み込んでくれております。

そして、どんなに影が濃いように思っても、
大丈夫なんです。

心の中の重さは取れないかもしれないし、
キズは癒えないように思うかもしれない。

でも、それが何かしらのキズを作ってるわけじゃなくてね。
本質を傷つけることってないですからね。

あなた自身はいつまでもピュアで綺麗なままです。
光が当たっても、影が濃くても、
瓶は瓶のままあるのと同じでね。

損なわれるかもしれない!という恐怖。
この恐怖は、暗い影に瓶を置いておくと、瓶が影の力で割れてしまうかもしれない!
っていうような誤解に似ているのかもしれません。

でも、瓶が影のせいで割れるわけはないのと同様にね。
あなたは元々、大丈夫なんですよね。

泣きそうな自分は受け入れず、笑う自分だけを受け入れるんじゃなくてね。
笑えるようになるのでもなく、
笑って泣いて、そんな自分を愛でてあげてください。

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