Life is like children playing house.

人生はおままごとのようなもの。

覚者になったら何かが変わるのだろうか?

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子供の頃なんですけど、ほら、お菓子とか食べてるとね、
袋の中に「たべられません」って書いてある乾燥剤みたいなのが入ってるじゃないですか。

あれ、日本語おかしいじゃないですか。

だってね。

食べられますもんねぇ。

食べると体に悪いかもしれませんけど、能力としては食べられますよねぇ。
めっちゃ硬いもんでもないですし、口に入らないくらい大きいもんでもないですし。

というわけで、
その文字を読むたびに、
「たべられるわ!みくびるなよっ!」
なーんてね。

心のなかでつぶやいておった小心者へんくつのタクさんです。

おはようございます。

今思ったんですけど、この話、前にも書いたかなぁ?ま、いいか。

で、冒頭から何の話やねん!
ってことなんですけどね。

なんていうか、ありがちな誤解としてね、
私はいないっていうのを見抜いたら、自分が消えてしまったら、
もう何にもせずに座ってるだけの人。
世捨て人のようになるんじゃなかろうか?

心が満たされて、もう俗世を捨てた人になるんじゃなかろうか?

考えや思考が湧いてこなくなって、アホみたいになるんじゃなかろうか?
堕落してまうんとちゃうやろか?

みたいなね。

そんなイメージを話さはる人もいたりするんですね。

はたまた、
私はまだ「それ」にきづいてなくて、まだまだ私が残ってるんですけど、、、

と言う人もいてはります。

なんていうか、
そういったことを聞かれたときには、
「何かが変わるわけじゃないですよー。すでに「それ」ですしー。」
『私とかなにかしらが消えたりはしませんよー」

ってな感じで返したりするんですけど、この辺をもうちょっと突っ込んで書いてみたいともいます。

例えばね。
ラマナ・マハリシさんっていう偉い人がいはるんですけどね。

あの人は、何かしらの体験の後、無言でずっと座ってはったらしいんです。
お付きの人がごはんとか食べさせたりしたらしいんですけどね。

その後は山にこもって、腰布と杖とコップ以外はなーんにも所有せずにいてはったらしいんですよね。

なので、なんかそんなイメージが先行してるのかもしれませんけど、
あれはたまたま、ラマナさんに起こったように見えるストーリーであってですね。

何かしらのことが起こるとこうなる。なんてことはないわけでしてね。

イエスさんみたいに馬小屋で生まれたら、どこかの丘で説法をすることになるわけでもなく、
インドの王族に生まれたら、仏陀になるわけでもないわけですからねー。

しかも、固定した誰か?というのがそもそもいてないわけですので、
誰かがどうにかなる。なんてことは無いんです。

例えば、私とは心と身体である。
と思ってるとするじゃないですか。

でも、固定された心とか身体なんてもんはないわけなんです。

心も身体も常に変化してる波のような「動き」ですからね。

昔の写真引っ張り出してきたらわかりますよねぇ!
僕だって、10年以上前の写真みたら、
「だれや!このイケメンは!!!!(笑)どうしてこうなったっ!」って思いますもん。(^^;)

ぼくも、自我ちゃん自我ちゃんって言ってますけど、
自我ちゃんと言った何かが有るわけじゃなくて、単なる記憶から来る習慣と思考の動きのことですからねー。

これって、水面の波のようなもんなんです。

何かに気づいたら、その水面に波は起こらなくなるのか?といいますと、
そんなことはないわけでして、起こることは起こるわけです。

心や感情、身体だって、波のように常に動いているわけで、その動きを固定化した観念として見てるだけなんですよね。

なので、この波が収まらないから、この波はまだまだ「水」にはなれていない。
なんてことはないわけでしてねー。

「私はまだ「それ」にきづいてなくて、まだまだ私が残ってるんですけど、、、」
と言った問いにも、

私という働きは波であって、「それ」は水なわけです。
その働きだけに注目してるのが「私」という状態ですので、私は水を知ることは出来ませんが、すでに「それ」であることは明らかなんですね。

で、それが明らかであると、何かを失うわけでもなく、
たんに深刻さがなくなっていくだけなんです。

波は姿を変えていきます。そして、その波に誰かしらの行為者はおらんわけです。

その働きだけに注目してようが、その波が水であることじゃなくなるわけでもないわけです。

また、それが明らかになったからと言って、世捨て人のようになるわけでもなく、何かを失うわけでもなく、自分が消えるわけでもありません。
興味は興味として起こるでしょうし、個性は個性として起こるわけです。
波のようにね。

波は水であることが明らかになるだけで、それは元々、当たり前なわけですからね。
常に形を変えながら、起こっては消えていくわけです。

誰かに明らかになるわけではないですが、個性は個性として起こっとるわけです。
だから、好き嫌いもあれば、腹立つこともてんこ盛りなわけです。
ただ、深刻さがなくなっていくだけです。

単に深刻さがなくなるだけですので、別に大人になっても「おままごと」は出来るわけです。
「できるわっ!みくびるなよ!」ってことですね。

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