自我が消え、探求が終わる。
それが悟りである。
ってねー。
ゆーたりするんですけど、
そうすると、自我を消せばええんやな!
って思っちゃったりするかもしれませんねぇ。
けど、これって無理ゲーなんですよね。
話が飛びますけど、
自分の尻尾を食べる龍だか蛇だかの神話があるんですけどね。
再生能力が強く絶対に死なない竜がおりましてね。
ずっと飢えていて、食べても食べても満足せず、
街も一飲みしちゃうくらいにむさぼりつづけるんですが、
全てを食べつくしてしまい、食べるものもなくなって、
ついには自分の尻尾を食べ始めてしまう。
で、無敵の竜さんですので、ずっと食べ続けてる。
っていう神話だったかなー。
ま、うろ覚えで、調べもしてないんですけどね。
めんどくさいので・・・てへっ。
これって、輪廻を表す比喩だと思うんですけどね。
探求だって、その先に悟りがあるわけじゃなくて、
結局尻尾を食べる竜のように、延々と探し続けてしまうことになったりするんですよねー。
実際に死んで、また生まれ変わって、というよりは、
その探求が続く様を輪廻やと言っとるんじゃないか?って思うんですけど。
知りませんけど。
まあ、修行によって、ありとあらゆる欲を捨て去ったとしてね。
最後に自我を消そうとしてもね。
結局自分の尻尾を延々と食べ続けるようなものでしてね。
無理ゲーなんですよね。
というのは、
自我を消そうとしとるのが、自我そのものですからね。
消そうとすればするほど、その自我が蘇ると言うわけですねー。
自我ちゃんって言う独自の何かがるわけでもないんですけどね。
生存本能のようなもので、なきゃ困りますんで、
それがなくなるってことはないんです。
自我ちゃんは自我ちゃんとしてちゃんと仕事は続けるんです。
ただ、それを自分が行為している。っていう誤解が解け始めるとね。
それへの深刻さだけが薄れていくってだけなんですよね。
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