Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

ワンネス体験のパラドックスと誤解02

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おはようございます。
タクさんです。
昨日の記事の続きを書いていきますね。
昨日の記事を読んでない方は、昨日の記事から読んでいただければ幸いでございますよ。

 

takuteto.hatenablog.com

 

ワンネス体験の話の続きです。
こういう体験中にね、
あかん!そろそろ戻らなきゃ!
みたいな思いも湧いてきたりするんです。

なんていうか意識が遠ざかる感覚があったりしたんですね。

思考や感情の原料みたいなやつをみてみたり、
うわっ!これがシンクロってことか!とか
感情とかが先にあって、それを脳がキャッチした後にレッテルを貼って脳の中で判断しとっただけなんやん!
とか、時間がない感覚とか、、
そういった発見を面白がっている間はいいんですけど、
徐々にその発見とかにも注意力をフォーカスできなくなってくると、
どんどん、いわゆる現実世界から離れていくって感じになっていってね。

なんていうか、海底からどんどん体が浮いてくる。
みたいな感じで、
そう言った、インスピレーションが渦巻いてる部分ももういいやーってなってくるんです。

すると、どんどん思考とかも薄れていくんですね。

海の底から体が浮いてくるといった感覚でしょうか?
しっかりと潜り続けないとそこにい続けられない。
みたいな感覚かもしれません。

いわゆる「現実」
僕らが普段生活しているという日常的な認識に近い感じの意識の場所では、
インスピレーションとか直感に、ある程度の具体性があるんですけど、
薄れていくと、具体性のないインスピレーションとかがあったりするんです。
言葉にならない感じのね。
純粋さが増してくるって感じです。妙な雑味が落ちていく感じに近いかもしれません。

そこで気づいたのは、
もしかしたら、高次の存在とか言われてるやつって、
こうやって、海底から身体が浮いてくる感じで、
現実の意識から遠いところにあるインスピレーション。
この存在を高次の存在とか言われてるんちゃうんか?
なんて思ったりしました。
雑味がなければ無いほど高次ってことなんかなー?なんてね。
思ったりもしたんですが、
そのあたりまで行くと、自分という存在も消えていくという感じになってきて、
妙な恐怖感というか、怖いわけじゃないけどここは違うわー?
って感じ?うまく言えませんが、そんな感じになってきて、
ふーって戻ってくる。

みたいなね。
なんかそんな体験を何度かしたんですけどね。

で、こういう体験を僕はワンネスの体験って勝手に呼んでて、
それ以外にも、

なーんもないけど、満ちてるっていう感覚に飲み込まれる体験とかもあったりしたんですけどね。
こっちの方は、
一瞥体験とか、空の体験って呼んでるわけです。
勝手にね。

で、ここまで書いて、やっと本題に入れそうになってきたんですけど、
うんざりしてませんか?

さて、本題なんですが、
こういう体験ってね。

つじつまが合うんです。
このつじつまが合うのが厄介やなー!って思ったりしてるんです。

どういうことかと言いますとね。

私はいない。
とか、
すべてはそれである。
とか、
すべては幻想だったんです。
とか、
一つであり全てなんです。
とか、
生と死っていうのもありません。
とか、
時間はありません
とか、
これは言葉を超えています。
とか、

そういう悟りや非二元で言われている話とつじつまが合うどころか、

よくスピ系で言われている。
シンクロニシティの話とか、
テレパシーの話とか、
高次元の話とか、
こういった話もぜーんぶつじつまが合っちゃうんですよ。

で、わかった気になっちゃうんですよね。
それどころか、悟り以上の何かがある!
みたいなことも思っちゃったりする場合もあったりするんです。

と、いうわけで、今日はこの辺までにしておきまして、
明日は、変に合致しちゃうつじつま。
そしてそこから起こる誤解なんかについて書いてみたいと思います。

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