Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

たまには、反応を気にせず、ほっておいてみる。

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たまには反応は気にせずにほっておいてみる。

ついついねー。
起こってくることが気になったりしますよねぇ。

特に自分の心の状態とかね。

今日はなんでこんな気分なんだ!
この気分はどこが原因でこんな気分になってるんだ!

とかねー。

あの嫌な奴がいなきゃ、こんな気分にならなかったのでは?
とか、
あんな事がなけりゃ気分が悪くならなかったはず!
とかねー。

考えちゃいます。

どうしても、気分には原因となる起こってる事があるように見えますよね。

なので、どうしてもいい事が起こるように、
やな事は起こらないように、、、

そう願うんです。

もちろん、そんなん当たり前のことなんですけどね。
だから、否定をするつもりはないんですけどね。

でも実は、
こういうのって、単に反応が起きとるだけでしてね。
この反応が気になってたりすると、どうしてもこの反応をコントロールしようと思っちゃうわけなんですけど、
そればっかりになってしまうと、反応が起きる前に、反応に戦々恐々としなきゃならなくなったりするんです。

つまり、今はそうじゃないけど、後々嫌な気分にならないようにしなきゃっ!
みたいな思いです。

もしかしたら、嫌な気分になるかも知れないから、そうならないように準備しておかなくては!
ってね。
心の反応の顔色を伺う、みたいな妙な逆転現象といいますか、
単なる道具であるはずの心の反応に、逆に支配権を奪われる。
みたいなね。
そんな事が起こったりするんですよね。

それが積もり積もると、
〜するべき。
〜でなければならない。

みたいな項目がどんどん増えていってね。

どんどん心の反応に自分を支配されてしまったりするんですよね。
でもって、なんか、しんどくなってくるんです。

不自由感を感じたりねー。

なんか、心の反応が、とっても大事なことに思えてきてね。
この反応様に喜んでもらえるように頑張る!
みたいなね。

でもねー。

心の反応って、単なる反応でしかなく、それ以上でもそれ以下でもないんですよね。
ヒザをトーンッって叩いたら、ぴょっこーんって足が跳ね上がるのとおんなじで、
単なる反応に過ぎないんですよ。

信号みたいなもんです。

元々は自分を守るための信号です。

でも、沢山のもう必要のなくなった記憶が積もり積もっているせいで、
過剰に赤信号を灯してたりもするんですね。

この反応に支配されている限りは、
起こってくる事が気になって仕方がなくなったりするんです。

だから、どうすればいい事が起こるのか?
って考えちゃいますし、
悪い事が起きないようにって心配するわけです。

心の反応に赤信号が灯らないように、灯らないように!
ってね。起こることを気にしすぎるんです。

でも、心の反応って単なる信号のようなものにすぎませんので、
んなもんに支配される必要性なんてないんですよね。

心の反応を使うのは自分の方です。
使われるのはアホくさいんです。

ポッと信号がともったら、
「あ、そうなん?オッケー!」
てな具合で、淡々と対処すればいいわけですし、
それ以上どうにかする必要もなく、あとはほっとけばいいんですよね。

しかも、間違った信号もガンガン出してきますからね。
そういう信号は無視したったらええんです。

この反応を気にしちゃう感じ、反応に支配されるってのは感じがね、
執着って事なんですよね。

煩悩とかそういうのは、全然あってもいいんです。
ただ、執着せんかったらいいんです。

起こることをよくしようとするんじゃなくて、
反応に支配されないようにしたら良いんです。

とはいっても、支配されないってなんか、反応に対して反抗するんじゃなくてね。
単に、それが反応だって気づけば良いんですよね。

ということは、反応を見てみたらいいんです。
「あれ?今の私ってば、反応に対して気にしちゃってる感じ??」
「もしかして、もしかして、気にしちゃってる感じ??」
って見てみるんです。

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