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Life is like children playing house.

人生はおままごとのようなもの。

二元の世界ってのもなけりゃ、非二元の世界っていうのもありまへん

それのこと 非二元

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非二元やー
二元やー、
自我ちゃんやー。
とかゆーてると、
ん?これは二元なんか?非二元なんか?
とか確かめたくなったりしたくなるもんやと思うんですけどね。

僕も「見てみるんです。」
「で、そのままにしてあげるんですー。」
とか言ってますけど、
確かめるって言うニュアンスよりは、そのまんまにしてれば良いと思うんですよね。
あまり確かめようとしないでね。

確かめて明らかにしようと言うよりは、そのまんまにしてれば、もうそれやん!
って感じなんです。

どっかに非二元的な世界があるわけでもなく、二元の世界があるわけでもないって言うかね。
そんな区別も無いんですよねー。

なので、二元ってのもなけりゃ、非二元っていう世界もないんですよ。

そのまんまでありのままであるわけでして、
ありのままがどっか別のとこにあるんじゃ無いんです。
別のとこにあるんだったら、もうそれはありのままじゃないですからねー。

あるのはこの、直接的な経験だけで、それ以外のものはイメージ。
そう見なしてるイメージですのでね。

普通に見てあげると、イメージに付随してるリアルっぽさのウソさが見抜かれるだけなんですよね。
目の前の現実が、幻想なんじゃなくて、目の前の現実に付け加えてるイメージが幻想なんです。

いつの間にやら、イメージの現実がすべてやと思ってて、そのイメージがリアルだと感じている。
そのイメージだけが幻想だというわけなんですね。

なので、ただ、ダイレクトに見てみればいいんです。
確かめるというよりは、ただ見てみるんです。
確かめようとしちゃってるなら、その確かめてるっていうことを見てみるんです。
確かめようとしてるなぁー。って見てみるんですね。

瞑想とか座禅とか、そう言った修行や癒しのワークの類は、
普通に見れへん!って場合の見る準備みたいなもんなんですね。
なので、そういった準備の先にそれがあるわけでもなく、もうすでにそれですやん!
っていう見抜きだけなんですねー。

なので、誰かしらの特別な覚者みたいな人がいるってわけでもないんです。

ちなみに、イメージを抱くっていうのは、もう自我ちゃんのサガですので、
それがなくなるっていうわけでもないんですよね。

単純にそれがイメージであって、それが起こってますなぁ。
って見抜かれてるだけです。

イメージや幻想だからと自分自身に納得させるようなものでもなく、
イメージだから大丈夫なんだー!って自分を慰めるようなものでもないんですよね。

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