「ウィーキャンチェーンジ!」
「あなたは変われる!変れるんです!」
みたいなね。
なんか、変わる。変われる。みたいな言葉って、ちょっと魅力的に感じることってありますよねー。
で、「悟り」とか「それ」みたいなものも、
それをなんか知ることが出来たら、変われるんじゃないだろうか?
みたいに思って、そういうのを求めたりすることもあると思うんですよね。
僕も、めっちゃ求めてましたもん。
で、「悟り」とかそんなんないんですよー。
「それ」に目覚めたとしても、なーんにも変わらんのですよー。
みたいな言葉を聞くと、
ちょ、、、まてよっ!(キムタク風)
って思うかもしれません。
そんなぁ〜。
変わらんのやったら何のために〜。
なんてね。
思ったりもしますよねぇ。
イラッとすることも起こりますし、
焼肉なんかやってて、自分が育てた良い焼き具合の肉がヒョイッって取られたら!
あーー!それオレの肉ーーー!
って言ったりしますし。
「私はいない」んちゃうんかいっ!
って突っ込みたくなるわけですが、
「私はいない」を振る舞う必要もなくなりますのでね。
結局なんにも変わらないわけなんですよね。
ただ、一人相撲ってことが見破られることによって、
なーんていうか、あり方みたいなもんが、
あくまでも副作用的に変わるってことはあります。
例えば、なんとなく言葉にならないような『人生の重苦しさ」
みたいなものについては、あまり感じくなくなったりするかも知れませんし、
なんていうか、もう起こってるだけですので、
普通に衝動があればそうすりゃいいですし、
自分を責めることもないですし、、
みたいな感覚になってきたりってな感じになるかもしれませんが、
でも、結局のところ、変わるとか変わらないとか、
そういうのがどうでも良くなる。
っていうのが大きいかもしれません。
なんていうか、自分を変えようっていう必要性がどっか行っちゃって、
どちらかというと、
変えよう変えよう!
って言う思いが、「足りない」をでっち上げとるだけなんですやん。
ってことなんですよね。
なので、変わらんでいいっていうか、変わるときは変わるでしょうし、
好きなもんは好きですし、嫌なもんは嫌ですし、
イヤイヤ何かをやるのも、それもまた一興ですし、
イヤだからやりたくないのなら、それも有りですし、、、
変わるという重要度がなくなってくるんですよね。
でもって、「私はいない」っていうのは明らかなわけですが、
だからといって、私がいないように振る舞うわけでもなく、
自分が何者かになるわけでもなく、普通で全然良くなる。
っていうか、究極の平凡が人々が究極に望んでた「それ」だという
笑ってしまうようなことが明らかになるわけで、
自分が変わろうがそのまんまだろうが、どうでもいいってことになるんですよねー。
変な話、「変わりたい!」「もっと良くなりたい!」って思いがあっても、
それで全然良いんです。って感じにもなるわけでしてね。
どないやねーん!ってことなんですけど。
まあ、それが起こってるんですやん。
ってことなんです。
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