Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

何も変わりませんよ!ってちょっとまってよぉ〜

f:id:takuteto:20170120160830j:plain「ウィーキャンチェーンジ!」
「あなたは変われる!変れるんです!」

 

みたいなね。

なんか、変わる。変われる。みたいな言葉って、ちょっと魅力的に感じることってありますよねー。

で、「悟り」とか「それ」みたいなものも、
それをなんか知ることが出来たら、変われるんじゃないだろうか?
みたいに思って、そういうのを求めたりすることもあると思うんですよね。

僕も、めっちゃ求めてましたもん。

 

で、「悟り」とかそんなんないんですよー。
「それ」に目覚めたとしても、なーんにも変わらんのですよー。

みたいな言葉を聞くと、

ちょ、、、まてよっ!(キムタク風)

って思うかもしれません。

そんなぁ〜。
変わらんのやったら何のために〜。
なんてね。
思ったりもしますよねぇ。

イラッとすることも起こりますし、
焼肉なんかやってて、自分が育てた良い焼き具合の肉がヒョイッって取られたら!
あーー!それオレの肉ーーー!

って言ったりしますし。

「私はいない」んちゃうんかいっ!
って突っ込みたくなるわけですが、

「私はいない」を振る舞う必要もなくなりますのでね。

結局なんにも変わらないわけなんですよね。

ただ、一人相撲ってことが見破られることによって、
なーんていうか、あり方みたいなもんが、
あくまでも副作用的に変わるってことはあります。

例えば、なんとなく言葉にならないような『人生の重苦しさ」
みたいなものについては、あまり感じくなくなったりするかも知れませんし、

なんていうか、もう起こってるだけですので、
普通に衝動があればそうすりゃいいですし、
自分を責めることもないですし、、
みたいな感覚になってきたりってな感じになるかもしれませんが、

でも、結局のところ、変わるとか変わらないとか、
そういうのがどうでも良くなる。
っていうのが大きいかもしれません。

なんていうか、自分を変えようっていう必要性がどっか行っちゃって、
どちらかというと、
変えよう変えよう!
って言う思いが、「足りない」をでっち上げとるだけなんですやん。
ってことなんですよね。

なので、変わらんでいいっていうか、変わるときは変わるでしょうし、
好きなもんは好きですし、嫌なもんは嫌ですし、
イヤイヤ何かをやるのも、それもまた一興ですし、
イヤだからやりたくないのなら、それも有りですし、、、

変わるという重要度がなくなってくるんですよね。

でもって、「私はいない」っていうのは明らかなわけですが、

だからといって、私がいないように振る舞うわけでもなく、

自分が何者かになるわけでもなく、普通で全然良くなる。
っていうか、究極の平凡が人々が究極に望んでた「それ」だという
笑ってしまうようなことが明らかになるわけで、
自分が変わろうがそのまんまだろうが、どうでもいいってことになるんですよねー。

変な話、「変わりたい!」「もっと良くなりたい!」って思いがあっても、
それで全然良いんです。って感じにもなるわけでしてね。

どないやねーん!ってことなんですけど。

まあ、それが起こってるんですやん。
ってことなんです。

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