Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

許しと受け入れるということ

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許しというのは、受け入れるということなんですけどね、
これ、なんかニュアンス的に、自己犠牲的なニュアンスが含まれた感じで受け取られてることがあったりすると思うんです。

こんなの嫌なんだけど、 でも、贅沢よね
受け入れなきゃ行けないのよね。
許せないって思考が起こる私がまだまだなのね、、、
許さなきゃ!なのよね。
でゅふ、、、でゅふふふ・・・

みたいなニュアンスね。

 

けど、僕は許しとか受け入れってそういうことやないと思ってるんですよねー。

許せない私が悪いのね。
と頑張るんじゃ無くて、
許せん!と思ってる自分をも許すんです。
でね、
許すとか、受け入れるとかっていうのは、我慢して飲み込むみたいなことじゃ無くて、
あることを認めてあげる。
そこにいさせてあげるっていうことなんですねー。

頑張るのも、そそくさと逃げるのも、どちらも完全に許されとるんです。
自由なんです。

頑張ってみようかな?ならそれでもいいですし、
スタコラサッサと逃げ出すならそれもいいんです。
どちらかがエライっ!ってことじゃないんですよね。

自分の中でダメだなーと思ってる部分があったとしたら、
そのダメ満載の状態でもう完全に許されてて、素晴らしいんです。光り輝くくらいにね。

もうね、
自分の良いところをぜーんぶとっはらって、
ダメだけにしたとしても、
もうそれだけで完全完璧、素敵すぎて素晴らしいんです。

許すというよりは、
こういうの許せん!って思ってたんやねー。って認めてあげるだけ。
認めてあげるっていうか、あるんやねー。っということで、そこにいさせてあげるだけ。
そのまんまにしておくんです。
すぐになんとかしたくなってきたりしますけど、
それも、なんとかしたくなっとるんやねーって見てあげたら良いんです。
その上でどう行動が起きようが、それはそれで良いんですよねー。

最初っから許すも許さないもなかったんですねー。

そんな中で、許されてるのに許してないのは自分だけやったんじゃなかろうか?
みたいなことが明らかになってくるかもしれません。

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