Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

原因と結果の呪縛

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原因と結果という、概念化のクセがあると、何でもかんでも
知らず知らずのうちに概念化しちゃうんですよねー。

なので、ははーん。
私ってば、何でもかんでも原因と結果という、
何かを概念化して取り込もうというクセがあるのねーん。
っていうことを、ちょっとみてみれば良いと思うんです。

たとえばね、
「私はいてません。」
と言うような言葉を聞いたとしたら、
原因と結果グセさんは、
なるほど!
私って言うのはただの概念なのか!
いま自分は私って言う感覚を持ってるけど、
この感覚が、邪魔になってるんだな!
よし!この感覚を手放さなければ!

ってな風に思っちゃったりします。
一見、いろんな覚者風の人たちが言ってることと矛盾なく感じちゃって、
そういうことじゃ無いのん?って思うかもしれませんが、
これって、「私はいない」を発展させて、
「私」が、「私」を手放した「私」になろうとしちゃうっていう
ジレンマがあるんですよね。

「全ては幻想なんです」
みたいな言葉もね。
んん?
そうなのか!
幻想だったのか!
真理と幻想があるんやな!
今後は幻想を生きるんじゃなくて、
真理を生きていこう!
真理を選択し真理の人生を歩もう。

みたいなねー。
そんな風に思っちゃったりすることもあるかもしれません。

ワクワクだけを生きていくぞっ!
みたいな感じの思いとかもね。

これも結局のところ、
それも原因と結果という概念の中の、
分離の物語の中での話なんですね。

アカン!ってことじゃ無いんですけどね。

でもって、
こう言った分離も全ての中で起きているわけですが、
分離が起きているというか、単純に分離だとみなしてるだけなんですよね。

でね。
いろんな覚者風の人が言うことを聴くためのちょっとしたコツなんですけど、
その言葉を、信じようとしたり受け入れようとしたりはしなくて良いと思うんです。
それよりも、自分の中で、どういうクセがあるのかみてみたら良いんです。

ぶっちゃけ、こういう言葉が、拡大解釈されることによって、
悟り風の概念ができたり、
スピ系の概念ができたり、
教えという概念ができてきたりしてますが、
ぜーんぶ概念でしかなく、
どれがより悟りに近い概念なのか?
といった差も無いんですよね。
酔っ払いのおっさんのひとり言とも、差はなくおんなじ価値なんです。

これは、戯言のようなものだということじゃあ無いんですよ。
ついつい価値の差をつけちゃいますよねー。
でもそんな価値の差とか、優劣とか、
そういう概念から離れてみましょうか?っていう話なんでね。
それに価値をつけちゃうと、離れてしまいますよん。
っていうことなんです。

なので、自分の中のくせを見てみるヒントくらい思ってたら良いと思うんですよね。

ははーん。
自分ってこういうくせがあったんやな!
ってな風に見てあげると、
どっかに許してなかった自分の中の取り決めみたいなもんがあったことに気づくかもしれません。
それを許してあげるっていうか、
あるんやねーって見てあげるんです。

誰かが許してあげるんや無くて、最初から許されてますからねー。

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