Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

自我ちゃんは何にもしないができない。

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何もしないって、簡単そうに見えて実は結構難しいんですよね。
そして、実は、自我ちゃんはいろんなことは出来ますけど、何にもしないってことは出来ないんですよねー。
なので、何もしないっていうのは、実は自我ちゃんのエネルギー、
つまり、探求のエネルギーから離れているっていうことなんです。

自我ちゃんは何故「何にもしない」を出来ないのか?
と言いますと、自我ちゃんっていうのは、動きだからなんです。

走る。とか、
燃える。とか、
爆発する。とか、

そういう動きを表す言葉ってありますよねぇ?
自我ちゃんっていうのも、その動きなんです。

動詞なんや!って思ってみると分かりやすいかもしれません。

だから、何にもしないを自我ちゃんがするっていうのは無理なんですね。

自我ちゃんの動きに巻き込まれてる。っていうのは、
走っていて走ってるのを忘れてる。というのに似てるかもしれません。

で、この走っているのは自動的に起こってますので、
乗り物に乗っていて、乗り物が走っているのを忘れている。
っていう感じですかね。

なので、ただ、走ってるんだねぇー。ってのをみることしかできないんですよね。

面白いことに、それを見ることが出来たなら、
走っていて、走ってない。
みたいな、言葉にすると矛盾を感じるこのことが、明らかになってきます。

起こっていて起こってない。
何にも無い中に在る。

っていうのと同じ感じです。

自我ちゃんの物の捉え方って、対象に対してその比較対象が必要になってくるんですね。
光に対して闇。
輪郭の内側と外側。
みたいな感じで、分離の概念を使うことによって何かを捉えてるんです。

電車の窓に映る景色のようなもので、
動いて初めて、移り変わりを捉える。

っていう感じです。

だから、動いてなきゃなにも捉えられないし、
分離の概念を使わないと、捉えられないんです。

なので、こういう非二元って言われているような話もねー。
捉えようとした時点で、すでに分離の概念が生まれてたりするんですよね。

ほら、
多分みなさんも経験があると思うんですけど、
あ!わかった!
ってなった後、しばらく経ってこの「わかった!」が薄れていって、
思い出してみようとするんですけど、
ん?
全ては幻想って言っても、この場合はどうなんだ?
あれ?
あの時は何となく腑に落ちた気がしたけど、
考えて見ると色々と変だぞ?

ちょっとどういう言い方だったのか確かめて見るか・・・。
ってまた本やネットで非二元のメッセージを探して見たりね。

探してみるのは良いことだと思うんですけど、
答えをその言葉の中に探すんじゃなくて、
わかった!ってなってる時に、
「自分は何も掴んでない」っていうのを見てみると良いと思うんです。
メッセージの中に真実があるんじゃなくて、
メッセージを見て、ふぁつ!ってなった自分の中に真実があるっていうことですね。

宗教っぽいオシャレな言い方をすると、
目の前に現れた神様があなたに向かって、

あなたが今感じている神は、私なのではなく、
あなたが感じている、そのあなたの中に在るんですよ。

っていう感じですかねー。

「それ」もメッセージの中にあるんじゃないんです。
なぜなら、「それ」とは「それそのもの」だからなんです。

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