Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

情熱の薔薇

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見て来たものや聞いた事、今まで覚えた全部
デタラメだったら面白い!

これ、
僕が大好きなブルーハーツの歌の歌詞なんですけどね。

でも、ホントその通りで、
デタラメとまでは言いませんが、
ま、デタラメみたいなもんなんですよね。

聞いたことも、見てきたものも、
これらは観念の中のイメージなんです。

なんていうか、
それはもう記憶の中にあるものでしかなく、
そこに実体はないんですよね。

デタラメっていうのは、絶対じゃないってこと

見たことも聞いたこともね。

全部自分っていうフィルターを通って記憶の中にあるものなんだけどね。

それって相対的なもんなんだよね。

相対的ってのはどういうことかというと、関係性で成り立ってるってこと。
つまり、二元という概念があった上で成り立ってるんです。

相対とは絶対じゃないってことなんだけど、

関係性で成り立ってるということは、その関係性が変化すればそのこともころころと変わっちゃうんですよね。

そしてこの関係性って常に変化しちゃうんです。’
関係性って時と場合によって変わるのですが、
時と場合って止まることがないんですよね。

つねに、変わり続けてるんです。

でも、自我ちゃんって、固定したものを掴みたがるんです。
固定したものを掴みとって安心したいんです。

でも、全ては常に変化をし続けているもんですから、。
自我ちゃんの思い通りにはならないんです。

自我ちゃん目線で思い通りになりたいってなると、
全ては苦になってしまうんですが、

ぜーんぶデタラメのなかで、常に新しい生命感を
ただ感じている分には、
それはとても生き生きとしていて、
まるで奇跡的のように見えるんですねー。

何にも掴まなきゃ、そこには生命感に満ち溢れた「それ」そのものが
わからないまま、わからないものとして、
何にもない中に、脈々と芽吹き続けるんです。

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