おっはようございます。
タクさんです。
よくこのブログでは、よく
明らかになるんです。
見抜かれるんです。
見抜きが起こるんですー。
とか言った表現を使ったりしてますが、
今日はこの見抜きについて書いてみたいと思います。
見抜きが起こるってどういうことかって言いますとね、
もちろんオママゴトの物語だってことが明らかになるってことなんですけど、
これって頭で理解するってことじゃなくて、
頭の中で起こってるストーリーがおままごとの物語と同様のもの、
つまり幻想だってことが見抜かれるってことなんです。
頭の中で話されているおしゃべりにリアリティーがなくなるんですね。
その実体のなさが見抜かれるんです。
小説のストーリーと頭の中のおしゃべりになんら違いはないですし、
映画のストーリーと頭の中のおしゃべりも同種のものです。
そして、寝ながらみてる夢と頭の中のおしゃべりも同じようなものなんです。
そして、起こることにおしゃべりで説明づけされる必要性もなかったのも見抜かれるんです。
自分というものの立ち位置だって、おままごとの上では必要性があるように感じていましたが、そういった概念の必要性も失われます。
だから、中心点は必要なくなります。
これは、絶対に中心点を持たずに生きていくぜー!ってのとは全然違って、
ただ、見抜かれるだけで、その中で普通に今まで通りやっていくだけなんです。
単純に、何かを解き明かさなければならない!っていう義務感が落ちるんです。
頭の中のおしゃべりの中に、人生も、他人の印象も、自分の役どころも、そして、自分という存在も、ぜーんぶまとめて入れ込んであったんですよね。
で、その設定も、お話も、どこにも実体がなく、そしてそのお話は自分の中でしか起こっていなかったんです。
アッチャー、それって完全なる一人相撲ですやんかー。
ってことですね。
オママゴトを一人で演じてたっていうね。
なのでね、
物語は幻想だー!ってのを頭で理解するんじゃなくて、
自分はどの程度この頭の中の物語を信じているのか?
信じるに足る信念ってなんなのか?
みたいなことを見て確かめてみたらいいんですよね。
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