Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

自分を受け入れるということ

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業とか、カルマってのもなければ、
原因があって結果がある。
ってのもあらへんのですよねー。

で、良いも悪いもなければ、
正しいも誤りもない。

だからね。
自分がどうなろうとかこうなろうって考えたり思い悩んだりする以前に、
まずは、
自分がもうそのまんまで最高!完璧やねん!
ってね。
認めてあげたら良いんですよね。

そのまんまですでに完璧なんですよ。

いやいや、
だって〇〇じゃないし、
◯◯が足りないですしー、

とかねー。

色々と足りない部分とか、
思い浮かんだりするかもしれませんけど、
その足りてない状態で、もう完璧!なんです。

足りてるとか、足りてないなんてのは幻想なんですよね。。
ないんですよ、実態は

なーんにも足さない、
そーのまんまの自分に、
何かしらの許せない、足りないってな観念が付け加わると、
そこから、何かしらの目標を持たなきゃー。
種まきしなきゃー
みたいな思いが出て来て、
あれもこれもしなきゃならんねぇー。
みたいな思いも出て来たりして、
もう、今じゃなくて未来や過去の想像の世界に閉じ込められちゃったりしてね。
はじまるもんも始まらん!
みたいな事になっちゃったりしてねー。

まずは最初に、何も足さない、そーのまんまの自分で
もう完璧やねん!素晴らしいねん!
って、自分の本当の素晴らしさを認めてあげたら良いと思うんです。
それが、本当の受け入れなんです。

自分を受け入れなきゃ始まらないですからね。

その自分を受け入れるってのは、
何か嫌なことを我慢して受け入れなきゃっ!
みたいなこととは違って、
生(なま)の、そのまんまの自分の素晴らしさを認めて
受け入れてあげるって事なんですよね。

それが受け入れられるともう、何が足りないとか、
そんなこだわりの必要性も失われます。

で、足りてるとか足りてないとかのこだわりもなくなると、
もう、目的とか目標とかも別段どうでも良いって事になるんです。

そりゃ、予定くらいは立てますけどね。

目的とか目標とかの必要性が失われていきますとね、
あー、原因とか結果とかも後付けで思い込んでた概念でしかなくて、
ホントは原因も結果もないですし、それに縛られる必要性もないんだなーってのが、
明らかになってくるんですよね。

で、そういう観念からも自由になれてくるんです。

あとは、音楽に合わせて自然と身体がフリフリと反応するのとおんなじように、
楽しーくダンスしながら起こることを踊っておったら良いんですよね!

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