Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

水の中で、何かを掴んだり離したり。

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何かを掴んで自分のものにしておこうとすることって、
まるで、水の中で水を掴もうとしていることと似てるかもしれません。

やっぱりどうしても何かしらの拠り所。
出来れば、間違いなく、安心できる拠り所。
そんなものがあればいいですよねぇ。

なので、どうしても何かしらの拠り所を掴もうとするんですけど、

いかんせん、水の中で水を掴もうとするようなもので、
どうやってもわからない、保証のないものを掴もうとするみたいなことで、
どこまでいっても満足できることってないんですよね。
掴んだ気になってもすぐにスルッとなくなっちゃったように感じたり、
掴もうとすればするほど逃げていったりしてね。

じゃ、思い切って手放してしまおう!
ってなことで、手放すと、
水はすでに一切離れることなく、自分から分離することもなくここにあった。
より良い部分を掴もうとなんてしなくても良かったんですね。

しんどかったのは、
何かを持ってない自分っていう観念から起こる、
掴んでおこうとする思いの方であって、
ふんっふんっ!って水を掴もうとすればするほど、
余計にしんどくなる。
っていうね。

じゃ、ちょっとここで、動きを止めて見て、
水を掴もうとする思いの方を淡々と眺めてみると、
掴もうとしてた水と自分の間には、距離なんかなくて繋がっていて、
そして、もっと、よくよくみてみると、
その水の中に中心となる自分ってのも見当たらず、
あるのは水そのものだけだった。
っていうまるで今までの行為が冗談だったみたいなね。

ジタバタすると抵抗を感じるけど、
じっとしてたら、抵抗なんて最初っからなかった。

てね。
なんかそんな感じなんじゃないかなーって思うんです。

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