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Life is like children playing house.

人生はおままごとのようなもの。

動物は痛みを感じない?うっそーん!02

それのこと

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お早うございます。
昨日の記事の続きを書いていきたいと思います。

まず、動物は痛みや苦しみを感じたりしないのか?

この辺は僕個人は、んなーこたーない!と思ったりするわけなんですが、
実際のところはわからない話じゃないですか。

わからんですよねぇ。
動物になったことないですし。

痛覚があるから痛みはある。
脳が人ほど発達してないから、痛みはあっても人のような苦しみは感じていない。
痛みとは言葉があって表れるものだから、言葉を持たない動物は感じていない。
いや、カラスやイルカは独自の言語で意思疎通している。


・・・


ってね。
色々と意見が分かれるところなんですよ。


いずれにしても、言えるのは、何かしらの反応が起きている。
以上。
ということですね。

多分、覚者?なひとがそういうことを言ってるという事は、
非二元とかそういう話の流れだと思うんですよね。

よく言われる論調では、
「人間だけが悟っていなくて、動物は悟っている」
みたいな話ですね。

「動物は痛みの感覚あっても苦しみは感じない。人だけが頭がいいから苦しみを抱えてしまう。」
っていう話も聞いたことがあります。

でね、これも、非二元のお話の流れで言われてるんだと思うんです。

いずれにしても、非二元の話しってね。
二元ではない。
二元に非(あら)ず。

って話だからね。
言葉にした時点で、かなり違う部分が含まれちゃうわけなんですよね。

言葉は、二元の世界を表現するツールですからね。

ま、それは良いとしまして、

まず、「それ」ってのは、中心がないだけの話しなんです。
どこかに中心点をおくことで、こことあそこ、っていう二元の概念が仮に作られてるだけなんですよね。


で、むりくりどこかに中心点を置いて、そこで自分っていう観念を持ってたりするわけなんですが、
ホントはどこかを中心にしてるつもりになってても、どこにもその中心点は置けてないんですよね。
これは、自分ってどこにいるんだろう?って見てみたらわかると思うんです。

ま、単純にそれだけの話なんです。

分離がないんですよね。
っていうか、分離って最初から無くて、
そのうえで、便宜上、分離があるていにして、社会が構築されておる(ように見えている)わけでして。
この辺はオママゴトとおんなじ構造なんですけど、
そういったオママゴトをしている行為者もいないわけでね。

単純に在るが在るだけなんです。

なので、動物とか人間っていう区別ってのも無いわけなんですよね。

となりますと、「人間だけが分かってなくて、動物は最初からそれそのもの」
っていう話もちょっとおかしなことになるんです。

大前提に分離があるっていう話があって、その中で何にもないを動物にだけ適用してる。

みたいなね。

人間も動物も月も太陽も、石も植物の、同様の現れであって、
区別はない中で、
一部分だけ区別をしていて、
その上で、区別のない世界の話をしている。

みたいなね。

ドラクエで例えてみますと、
ファイナルファンタジーは、HPが万単位あるキャラがごろごろいるからファイナルファンタジーのキャラの方がドラクエのキャラよりも強い!


って言っているようなモノ???


はい。
よくわからないですよね。


アラレちゃんは地球をパンチでぶっ壊せるから、悟空よりも全然強い!


って言ってるようなモノ???


でもないか。

ま、人間と動物がどうのこうのって話は、
分離があるという前提の話じゃないですか。

何かしらの話をするのに、この辺は逃れられませんよね。

その上で、動物だけが真理を知っている。
っていうのも変な話で、
ホントのところは真理がそれそのものであり、そこに分離がないんですよね。

人間と動物っていうのがすでに観念であり、分離ですからね。

だから、あまりこの辺のことをほじくり返さないほうがいいんですよね。

ほじくり返せば返すほど、観念が観念を呼び、違う方向に行ってしまいます。

動物は苦しまない。

それを話しているあの覚者はもちろんそのことを知っている

なぜ知っているかというと、あの人悟っているからであって、もちろん苦しみを感じない。

だから、僕らとはちがう特別な人なんだ

僕はまだまだ苦しみを感じている。つまり悟っていない。

もっとあの人の話を聞いて理解しなければ!
僕には、苦しまないということがわからない。
私がいないということがわからない!

みたいなね。
これ、全部観念です。

現れとして現れているものに、価値の差はありません。

ペットボトルのキャップも石ころも、
すごい透明感のある悟った先生も、
みんな同じようなもんです。

だから、人間と動物も同じ現れです。

そして、現れは分離することなく、
ありとあらゆる現れはそのまんま自分自身なんです。

たまに、サットサンでは素晴らしいことが起こってます。
とか言ってる宣伝文句を見ることがありますが、
素晴らしいことが、その先生の周りでだけ起こってるわけじゃありません。

あらゆるところで余すことなく、素晴らしいことが起こっておるんです。


この素晴らしさというのは、特別なものじゃなく、
素晴らしさが最初の、元々のことなんですよねん。

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