Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

私が消えると自分らしくなる?!

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私が消えるんじゃなくて、最初っから私っていないんですけどね、
なーんていうか、私がいるっていう観念がないことが明らかになりますとね、
ますます自分らしくなれる。
みたいなね。

そんな側面があるんですよね。

どういうこっちゃ?
って話なんですけど、

私っていう観念があると、その私を守らなきゃならない。
っていう考えが自動的についてくるんですよね。

だから、その私を守るために
あーすれば良いか?
こーすれば良いか?
みたいな考えを呼んだり、

また、
○○すべき、
○○すべきではない。

みたいな観念も生み出したりもするんです。

で、これらが上手くいっているのであれば問題ないんですが、
上手くいかない時点で、悩ましくなってくるんです。

どうしても私を守らなきゃならないわけですけど、
どうにも上手くいかないことって出てくるんですよね。

そうなってくると、
ますます、○○すべきが増えてきて、
がんじがらめになって苦しんでいる方もおられると思うんです。

こういう話を成長を妨げる話だととる方もたまにおられますが、
そういうこととは全然違います。

成長は!大いにすれば良いんです。

ただし、成長しなければならないっていう観念に苦しんでいるのだとすれば、
んなことないですよん。
っていうことは言えますけどね。

しても良いし、しなくても良いわけです。

変な話ですが、私を守らなくても良くなれば、
逆に自分らしくなったり、
また自分らしいに変にこだわらなくなったりしなくてもよくなるんですよね。

今の自分は自分らしく生きてないんじゃなかろうか?
みたいな考えって悩ましいものですが、
ま、それは割とどーでも良い!
って感じなんですよね。

なんか自分らしさってのも一つの呪縛みたいになっちゃったりするんですよね。
そんなん無いのに。

そういう思いが起こっても、長続きしなくなってくるっていいますか。

もちろんのことながら好き嫌いはあるわけで、
良い思いと嫌な思いもあるわけなんですけどね。

でも、どちらの思いも思いであるというところは一緒なんです。
でもって、思いには何かの力があるわけでもないわけでね。

嫌な思いはそんなに怖いものでもないんです。

嫌なものは封じ込める!
みたいな必要もないんですよね。

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