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Life is like children playing house.

人生はおままごとのようなもの。

自分のある場所と抵抗のことについて

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僕らが自分だと思ってるものって結構その時々の都合に合わせて変わってるんですよね。
いや、ホントはいないんですけどね。


でも漠然と、身体だったり、思考や感情だったりに自分を置いていることが多いんですが、

身体のどこかが具合悪い時は、
あー、最近身体の調子悪いわ〜。
年取ってくると、身体が言うこと聞かんわ〜。
みたいなことを言ったりしてて、
まるで身体が誰かの持ち物のように扱っていたりして、

その時は身体じゃ無いどこかに自分っていうのが当然のことながら
いるように感じてるわけです。

で、なんか感情が起こっていたとして、

あー。今日はちょっと気分悪いわ〜。
なんか重た〜い感覚があるわ〜。

そもそもこの感情はどこからきてるんだろう?
あの人にあんなことを言われなければ、
こんなに気分悪くならなくてすんでたんじゃなかろうか?
そもそも、なんで私がこんな目に合わなきゃならんのか?
ああ、どうしたらもっとスカッとするんだろうか?

ブツブツブツ・・・

この時も、なんか自分っていう何かに、
重た〜い感情が襲いかかってきてる。
みたいな感覚を持っていたりするんです。


この時は、感情がやってくる自分ってのが別にあることになってるわけです。

なんていうか、感情や思考じたいが自分のようでもあるし、
それでいて、自分に降りかかってきてるようなものにも感じる。

そんな感じでしょうか。

いずれにしても、自分ってどこにおるのん?
って探してみると、どこにもいてないんですけど、
なんとなーく、どこかに自分っていうのがいるんだ!
っていう観念があるんですよね。

で、この自分ていうのがいるんだ!っていう観念が、
この自分を守らなきゃならん。
って思っていて、それが、
どうも重た〜い感情とか、身体の調子の悪さに対して
これではだめだー!って、
抵抗するんですよね。

よくここでも書いてる「見てみたらいいんです。」
っていうのは抵抗せずにそのまんまにしておく。
って感じなんですけど、
それはもちろん怪我したらほっておく。
ということじゃなくて、必要な対処は淡々とやりつつ、
心での抵抗をしないって感じなんです。

抵抗を抑えこもうとするとか、
抵抗せえへんでー!って我慢するんじゃなくて、
抵抗してるんやなーってのに気づいてみるんです。


その抵抗に寄り添ってみるって感じです。


その抵抗。わかる!わかるでー!
あんたのその主張、真っ当やとワイも思うでー!
ってね、寄り添ってあげるんです。


そして、その抵抗の存在を認めてあげるんですね。


抵抗があってはならん!って消そうとするんじゃなくてね。

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