Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

言葉ってホントに何かを表現してるのか?

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「これ」でも「それ」でも「悟り」なんでもいいですけど、
そう言うのって、言葉では表現できない。
って言われてたりしますよねぇ。

で、言葉にできないとなると、どうやって理解したらいいんだー!
ってね。
思われる方もおられると思うんです。

でも、言葉って本当になにかを表現できてるんでしょうかねぇ?
ってことをちょっと疑ってみるのもいいかもしれないなーって思うんです。

例えばね。

赤って色があるじゃないですか。

でも、この赤ってのは、ホントは言葉では表現できないような
ものすごく多種多様なものがあるじゃないですか?
でもって、色自体にも
なんて言うか、オーラっていうか、
生命感的なものがあるって思いません。

それを赤ってひとくくりにしちゃうと、
なんか、そこでこの生命感が失ってしまうと言いますか、
これでもうオワリとしちゃって、そのものを見なくする。

みたいなね。

そういう側面があると思うんですよ。

空1つとっても、ホントは常に同じ空なんてなくて、
定義されるような境目もなくて、
なんていうか、
グイグイって常に変化してますよねぇ。

でも、
空だよん。

って言葉にして表現しちゃうと、
なんとも本質を表してないって言いますか、
表してないくせに、もうそれで空をわかった気になってる。

みたいなね。

ネコにしろ人にしろ、
同じ現れ方なんて一回もないのに、名前をつけて
言葉で表現したことで
なんかそれで理解した気になっちゃう。

あ、
別に大げさな芸術的なことを言おうとしてるんじゃないんですよ。
屁理屈言ってるつもりもないんです。

言葉で表現するってのは便宜上は必要ですので、
言葉批判してるわけでも無いんです。
こうやって文章を書いているのも言葉ですしね。

でも、「これ」とか「それ」とか「悟り」に限らず、
ホントの本質ってどうやっても言葉で表現できるものってないんちゃうん?
って思うんですよね。
分かったうえで、便宜上使われているのが言葉なわけで。

人間の、しかも一部地域でしか使われてない暗号みたいなもんじゃないですか。
言葉って。

だから、言葉ってのは便宜上使われる道具であって、
言葉に囚われる必要性って無いんですよね。

で、じゃあ、「それ」とかは、言葉で表現できないほどすごいものなのか?
といいますと、そういうことじゃなく、
特別なのは言葉とか言葉で表現していることの方で、
そういった特別さを排除した時に残る平凡なもの。

それが「それ」なんです。

ただ、単純に、言葉とか理解とか。
そう言ったもので記憶やイメージの中につかみ取れるものを重要視するあまり、
それ以外の、平凡な「それ」そのものが見えなくなっちゃってるだけって感じなんですよね。

 

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