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Life is like children playing house.

人生はおままごとのようなもの。

十牛図:悟りへのプロセスについて

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悟りってね
ホントはそんなのないんですけど、
ま、便宜上そう呼ばれたりしててね。

それはそれで良いんですけど、
この悟りへのプロセス!みたいな考え方があるじゃないですか。

十牛図ってのが有名ですよね。

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牛を自分の心に見立ててね。

最初はそんな自分の心なんてのがあるってのすら意識してないんですが、
なんか、そんな自分の心を自分で見てみる。
みたいなプロセスがあってね。

最初は自分の心はコントロールができない暴れ牛なんですが、
なんとかかんとかして、牛(心)をコントロールできるようになってきて、
もう、牛(心)とすっかり友達のようになってきて、
そのうち、
えー!
心ってあるとおもてたけどあらへんのんやー!
って気づいてね。

なーんもないんやんか!

ってね。

なっていくんです。

7番目くらいには、
起こってることがただ起こってるだけー。
ってなってきて、

そのうち、起こってすらもない!
ほんまになーんもない!
このなーんもないってのは8番目に書かれててね。

実は元々はこの8番目でこの図は終わりになってたんですけど、その後誰かが残り2つを書き足したらしい。
みたいな話を聞いたことがあります。

9番目には、もはや自分っていう概念も無くなってて、
そして、10番目では元に戻っていくんですね。

最初っからそうやったんやん!
最初っから心なんてないし、自分なんていないし、
そのまんま、生きてたらええんやん!

てね。

好き嫌いがあって良いし、それでバッチリOKやし!
ってね。

悟りに達観したようにしなくても良くて、
別にしたかったらそうしても良くて、
何が偉いでも無くてってね。

そんなニュアンスを10番目に感じます。

でね。
なんでプロセスのことに触れたのかと言いますとね。

僕、プロセスなんてものはあんまり気にしなくて良いと思うんですよね。

なんていうか、このプロセスにハマると
プロセス自体が目的になってしまう。
みたいな本末転倒のようなことになってしまったりすると思うんですよね。

ぶっちゃけ、プロセスなんてものは無いんですよね。

この牛の絵で、偉い坊さんとか先生は、もう10番目に達してるんや!
ってね。
もちろんそんなことなくて、
この絵に10番目がある理由って、多分、
最初っからなーんも変わらへんのやで!
ってのを言いたかったんちゃうんか?
って思ったりするんですよ。知らんけど、、、

そして、本来
1番目と9番目ってのも、起こってることに関しては一緒でね。
なんの差もないんですよね。

例えば、よくプロセスとして言われるのは、
一瞥体験みたいなことがあって、
その後に午後の紅茶じゃなくて、悟後の修行があって、
大悟に至る。

みたいなね。

そういった考えもあるらしいんですけど、

「オレ、昨日カレー食ったんやで!しかも5辛!」
っていう体験と、
一瞥体験もなんら差はないんですよね。

なので、ただ見てみたらいいだけなんですよね。

プロセスなんてものはインチキなんじゃー!
っていうわけじゃなくて、
そういうプロセスっていう観念にハマってるのだとしたら、
そのハマってる様を見てみたら良いだけなんです。

で、プロセスは嘘じゃー!
っていうわけでもなくて、

見てみることすらよくわからん!って場合は、
見てみることの準備として、瞑想とかしてみるのも何にも悪いことじゃないんですよ。

瞑想とか修行ってのも、
まずは落ち着いて見てみようぜ!
ってなる前の準備みたいなもんとして使えば良いと思うんです。

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