Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

変えようとせんでええんやってなると変わってくるっていうね

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変えよう!変えようとしても、
いつまでたっても
みじめな思いがあったり、
これが足りないとか、
あれをもっとこうしたい、、


ってね。


もうひっきりなしにやってくるわけです。


でも、
変えようとしなくてもええんやー!って、


そう思えるようになって来たら、
何故か変わってくるんですよね。


みじめな思いとか、
これが足りない
あれがもっとこうなりたい


とかいう思いも、そのまま、あっていいんだよってなるんです。


あっていいので、煩わされなくなるんですね。
自分がそうなるんじゃないんですけど。


「それ」が「それ」として起こっとるだけ。
起こってるように見えてるだけで、なーんにもかわらない「それ」だけがある。
って感じなんです。


嫌な思いがあったとしても、その思いをただ見てみるんです。
あっていいんだよーってね、在るがままに見てみるんです。
するとね、ちょっとすると消えていくんですよね。
あらゆることが常に変化して、起こっては消えていくんです。どんなもんでもね。
そういう事がただ起こってるだけなんです。


思いについて考えだすとね。
例えば、
みじめだー。って思いがあったとしたら、
この原因を探ろうとして、
みじめなのは、お金がないからだ。
みたいな答えにたどり着いてね。


いつの間にか、お金がないのが問題だ!


みたいに思いがすり替わったりするんですよね。


考えれば考えるほど思いが思いを呼んで、
ストーリーが発展していって、
絡めとられたりするんですよね。


で、変わらなきゃならん!ってなってくるんです。
で、変えよう!とするんですが、うまくいかない。。。


でもって、この記事の冒頭に戻る。みたいになっていくんですよね。


思いに絡め取られないようになろう!
とするのも、変わろうとすることと一緒ですね。


思いが思いを呼んでいる様も、ただ起こってるだけなんですけどね。
絡め取られてしまってる!って言うのも思いですので、
それも含めて、まるっと見てあげることが出来たら、消えていくんですよね。


で、そうやって見てみると、あらゆることも起こっては消えて起こっては消えてってなってるんです。
天気しかり、音しかり、
思考も思考でそうやって、起こっては消えてってしてるんです。
それが自分に起こってるわけじゃなく、後付けで自分に起こってるっていう概念をつけてただけでね。


この自分の後付けさが見えてくると、起こることにはどこかに分離があるわけじゃないってのも同時に明らかになってくるんですよね。


それが明らかになってたら、はぁー。っていう安心しかないんです。

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