Life is like children playing house.

人生はおままごとのようなもの。

問題の解決と「それ」のこと

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おはようございます。
タクさんです。

ま、あれですよねー。
人生生きてたら、色々と問題も起こってくるやないですか。

僕もね。

上手いこといってる時は良かったんですけど、
「悟り」とか、そういうのに興味を持ち始めたのは、
なんや上手いこといかんなー。
ってなってきたことがきっかけではありましたんでねー。

ま、昔から、なんとなく、
なんのために生きてるんやろう??
みたいな疑問あったのでね。

その辺を追求してみたい!
みたいにね、思ってたこともきっかけといえばきっかけですけど。

なんか、最強の人生の道しるべ。
みたいなのは、子供の頃からずーっと探し求めてたように思います。

ビジネス系やら、成功哲学的なものから、
いろんなものを読んだり、習ったりしましたが、
最終的に、「悟り」みたいなものにたどり着いたわけなんですね。

最近は、ノンデュアリティーとか非二元とか言われてますが、
そのちょっと前までは、ワンネスなんて言われていましたね。

「悟り」もノンデュアリティーも非二元もワンネスも、
言葉は違いますが、全部同じことを言ってます。

こういう話で、すごく邪魔になるのは、
何かしらの権威だとか、表現につきまとうイメージみたいなものなんですよね。

「悟り」ってなんか、ものすごく凄いもののように感じたりするじゃないですか。
解脱とか仏陀とかね。

こういったイメージって物凄く邪魔になってくるんですよね。
だって、ホントのところは、権威とか特別性とかとは全然関係なく、
なーんでもないものだからなんですよね。

なーんでもない。
ということは、区別もないっていうことなので、
ワンネス。

つまりひとつっていうことなんですけど、

ひとつだというと、なにか妙なファンタジー的な考えが蔓延しちゃったりもするんですよね。
あなたと私は同じもの。
あなたは私で、私はあなた。

みたいなね。

そういうことでもないんですよね。

あなたも私も、観念上作り上げられてるだけやないですかー。
ってことなんです。

だから、ひとつといった表現は、どうにも誤解を生む。
ちゅーことで、非二元とかノンデュアリティーとか言われるようになっとるだけなんです。

非二元とは、二元にあらず。
っていう意味ですね。

ひとつっていうと、誤解があるから、
二元ではない。
って言ってるだけです。

ノンデュアリティーは非二元と同じ意味ですからね。

でね、
あらゆる問題とか悩みとかって
やっぱり私に起きとるわけじゃないですか。

で、どうしてもこういった問題とか悩みは解決しておきたいですよね。
そして、二度とそういった悩みや問題が起きないようになればなお良いわけです。

だからね、
そういった問題を解決する。
悩みを解消する。
そして、問題や悩みを消し去ってしまうような目的で持って、
非二元のメッセージを聞いちゃったりする場合もあると思うんですよね。

でも、この話は問題を解決する話ではなく、
問題を問題のまま居さしてあげる
という話なんです。

問題とは自分に降りかかるものですよね。

逆に言うと、自分という概念があるから問題も起こってくるんです。
なぜなら、自分は自分を守らなきゃなりません
この自己防衛本能がある限り問題は起こってくるんですよね。

では、この自己防衛本能を取っ払ってしまえばいいのか?
というとそういうことではありません。

そんなん無理な話ですよね。

目の前でパーンって風船が割れたら、どうしても目をつぶってよけてしまうでしょうしね。

防衛本能は、自分にとって必要だから起きているわけです。

なので非二元の表現を問題を解決しようとする糸口として利用することは出来ないんです。

これは、今まで問題だらけだと思っていた人生は、概念上作られた自分に起こってだけれども、自分が概念だと気付いたとき、問題だと思っていたことは、そのまま、あって良かったんですねー。
という発見だからです。

スタート地点を問題解決だったり、問題があっても大丈夫な自分になろうとするものだったりした場合には、そこにゴールはないんですね。

だって、どうしても解決したい自分ってのが、大前提として
でーんと構えてるからなんです。

時に、気分が良くなったり、何やら抵抗が晴れて行ったり、
静かな静寂を味わったりね。
そういうことも起こったりしますが、
そういうことが起こったら起こったで、
よし!ずーっとその状態になるようにもっと頑張ろう!

みたいなことになっちゃったりするんですよね。

そう行ったことを目的としたワークなんかも沢山あったりします。

ワークを否定してるわけじゃないんです。

どうにもこうにも身動きが出来ないくらい追い詰められちゃったりしてる場合もあるじゃないですか。
そういう時にはとっても役に立つと思うんです。

ま、でも、そういったワークの先に悟りがあるとか解放があるっていうのとはちょっと違うんですよね。
そう思ってたりすると、延々とワークをし続ける。みたいなことになっちゃったりするんですよね。
自身の調整という感じに利用すればいいんじゃないかなって思います。

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