Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

この話は何も現実を否定してるわけやないねん

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この世界は幻想である。
とか、
現実は、夢のようなもの。
おままごとをやってるようなもの。

ってなことを僕もこのブログで散々言っておいて何ですけど、
別にこのメッセージというのは、
なにも目の前の現実をないがしろにしてるっていうわけじゃないんですよね。

むしろ、思う存分、その現実を楽しんだらええんやと思うんです。
ただ、楽しんだらええんやんっていうメッセージなんです。

だから、なーんだ、おままごとなんだ。
幻想なんだー。

って、つまらないもののように捉えちゃうとするなら、
それはちょっと捉え違いをしているかもしれません。

まさに、現実こそが神秘そのもの!な訳です。
完璧であり、そして尽きない神秘であり、そして生命そのものな訳なんです。
それそのものしかないがために、
完全に受け入れられており、
受け入れられているがために、全てが許されていて、
許されているが故に、愛そのものなんです。

でもそのそれそのものを、何かしらの問題として受け止めちゃったりしてね。
その問題の解決だけに打ち込み続けて、
解決したと思ってもまた新たな問題が現れて、
問題が問題を生み、
問題のない状態でも、つねに問題に対処できるように努め、
ってね、
それが好きならそれでもいいんですけど、
それがいつしか不自由感を感じているのだとしたら、
その現実をそのまんまに見てみてはどうでしょうか?
と、オススメしているわけです。

そのまんまの現実には、問題は存在してないわけで、
問題を作り上げていたのが、
っていうか、問題があると思い込んでいた。
それがワタシだったんですね。

で、このワタシというのが、ただの概念でしかないことが見抜かれると、
現実そのものが明らかとなり、
問題なんて最初っからなかった。
ワタシも最初っからなかったことが明らかになるんです。

なーんもわからない。

それが「それ」そのものであり、
何かをわかって解決するようなことでもなかったということなんですよね。

有名なOshoというおじさんは
こんなことを言っています。

「人生は神秘(ミステリー)だ。
それは解かれるのではなく、生きられるべき神秘なのだ。」

さすがOshoさん。
言葉が綺麗ですわ。

そう。
僕らの現実。
それは生そのものな訳です。
そして、生とは解決すべき問題なんかじゃないわけですよね。

生とは、生きられるべき神秘だというわけです。

神秘とは、わからんものをわからんままに在ることなんです。

その神秘が生として万華鏡のように表現されているわけで、
それを見るものがあなたなのでもなく、
あなたそのものが、その神秘である生そのものなんです。

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