Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

「自分」の材料

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今日は「自分」という概念について書いてみたいと思います。

「自分」って何なんでしょうね??

「自分」って何だろうと考えだすと、
あんなところもあるし、こういうところもある、
でも、全然違うぶぶんもあったり、
なんだ、かんだと、、、

結局、「自分」ってわかってるようでわかってない~。

考えれば考えるほど、そんな感じになってきます。

でも、この「自分」という概念の仕組みをみていくと、

自分って、何なんや?

ってのが見えてくるかもしれません。

自分ってのは何で構成されているのでしょう?
自分と言うのは、どんな材料で出来ているのでしょうか??

ココロと身体、人間の全部。。。。

みたいなね。
宣伝コピーもありますが、

もちょっとこまかく見てみましょか。

ココロとは、なんでしょう?
あげてみましょう。

嬉しい感情、
悲しい感情、
何やら不安な感情、
はたまた、ある種の信念。
思考、

こんな感じ?
まだまだありそうですね。
ですがココロという何かがあるわけではなく、
いろんなものの総称としてココロとしているというのが見て取れますね。

ココロが実際にあるわけではなく、
不安な感覚をココロと呼んでみたり、
嬉しい感覚をココロと呼んでみたり、
信念や思考をココロと呼んでみたりしているわけですね。

起こってるのは、感情とか思考だということになりますね。


では、身体とは具体的に何でしょう?
アタマ、手、足、内蔵、皮膚、、、
様々なパーツが思い浮かびますが、、、
実際に経験として感じているのは、
地面についた足の感触、
虫に刺されてかゆい手の部分の感覚、
目や耳などの器官から感じる、光りや音の感覚、、、

実際に経験として感じられるのは
様々な感覚ですね。

様々なあらゆる感覚が五体に対して起こっている。
この五体をまとめて身体という総称で呼んでいるんですね。

こうやって、「自分」の材料を見てみると沢山ありますね。

この沢山あるってところに自分という概念を紐解くのヒントがあるかもしれません。

さて、
自分の材料ということは、
これら材料が最初にあって、そのあとで自分と言うものがこしらえられてる。
ということになりますよねぇ。

料理は食材より先には成立しませんからね。

なので、あらゆる感情や感覚があって、その後で自分と言う概念が作られているという事になります。


さてさて、
いろんな感情や感覚があって、その後で自分と言う概念が付け加えられるわけですが、
この自分と言うのは一人ですよね?
何人もいたら変ですから。

そうすると、いろんな感情や感覚はひとまとめにしておかなきゃいけません。
ひとまとめにする袋のようなモノ。
それが自分なわけです。

そうやってひとまとめにした後で、自分は更なる感情や感覚、そして思考を発展させます。

ひとまとめにした、ココロや身体と分類されている様々な感覚以外の感覚にたいして、
区分けをします。

それで、自分と自分以外を作り上げるわけです。

感覚としては同じようなかんかくなんですよ。
でもその感覚に思考でもってレッテルをつけて区分けするわけです。

身体の中で感じる感覚も、皮膚に触れた感覚も、感覚としては名もない感覚なんですが、
種類わけして、身体の外からくる感覚と内にある感覚。
みたいな感じで区分けをするんですね。

ただ、区分けしているだけなら別に問題ないんですが、ここで自分というひとまとめにしたものとそれ以外と区別をして世界を構築していくわけですね。

で、自分とそれ以外という分離が生まれるわけです。

ホントのところは、自分という概念が生まれたと同時に分離という概念も生まれます。

分離が無きゃ、自分は成立しないし、自分が無きゃ分離も成立しないですからね。

さて、ありとあらゆる感覚や感情、そこから出てくる思考に記憶。
これらをひとまとめにしている「自分」という概念。

「自分」って何だろうと考えだすと、
なんだ、かんだと、、、
記憶やら考えがひっきりなしに出てきては消えて、、、

結局、「自分」ってわかってるようでわかってない~。

ってなるのも当然ですよね。

概念でしかないわけですから、無いんですよね。
実際には。

仮定として、感覚や感情をひとまとめにしてるだけですからね。

で、
自分と言う概念を見抜くには、自分っちゅうのは何か?ということを見て確かめてみたら良いんですよね。
そやって確かめてみると、確かに、感覚や感情が起こった時点では自分ってのはおらんのです。

確かめてる主体ってのもいないことに気づいた時、起こってることだけしかないということに気づくんですよね。

起こってること。

っていうか、
起こってる経験。

それしかないんやん。

その経験を体験する主体も最初っから存在してないんです。

ただ、起こることが起こっているだけ。
そこに自分と言う概念をくっつけて、分離感もくっつけて、
あーだこーだと思考を発展させて、解釈を生み出し、
その解釈がそのまま現実になっていて、、、

てね。

そんな風にしてるんですよね。

そんな風にしている様をちょこっと眺めてみたら良いんじゃないかな?
って思います。

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