Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

恐怖や後悔がでてくるのが嫌だ。なんとかしたい。

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おはようございます。
タクさんです。

今日はいただいた質問にお答えしようかと思います。

以下質問

ayu

初めまして。昨日こちらのブログに出会い、過去記事を夢中で読んでいる者です。どうしてもお尋ねしたくなり、コメントさせて頂きます。
3年ほど前に職場がつぶれ、パニックになりスピにすがり、とある覚者を名乗る人にはまり込んでしまい、1年ちょっとでやっと離れられた時には、既に200万円ほどつぎ込んでいました。
今も無職でそろそろ貯金も底をつくかというところ、働く意欲が全く湧かず、失ったお金への後悔と貯金が減っていく恐怖に苛まれています。特に繰り返し襲ってくる後悔が辛くてたまりません。
何かアドバイスを頂けないでしょうか?


質問ここまで

ayuさん
コメントありがとうございます。
読ませていただいて、
つい、以前の自分の体験を思い出してしまいました。

僕も、同じく会社がつぶれた経験をしました。
その時は、来月の結婚式を控えていて、電化製品や家具など一通りそろえたりしていて、
貯金もほぼ使い果たした矢先の出来事で、当時は毎晩不安で吐きそうになっていたことを思い出します。
来月の家賃、どうしよう、、、なんて考えてばっかりでした。
その後、なんとか一人で事業をしていましたが、それも雲行きが怪しくなり、そして結婚生活も上手くいかず、離婚をした後に、僕もスピにハマり、同じく長い時間とともに、何百万のお金を使っちゃいました。
恐怖や後悔に苦しんでいた時は、いつも資金繰りのことを考えては吐きそうな気分になったり、終わったことへの後悔への苦しみから、常に酔っ払っていたいと思い酒に逃げたり、、、
そんな感じでした。
悟りという言葉に興味を持ち始めたのもそのころで、
悟ったら楽になるんじゃないか?と悟りを熱望したりもしていました。

そして、その後におとずれたのは、
「ああ、ダメなんだな・・・」
という、心の奥からくる諦めでした。
「あー。。やっちまったな。」
って感じです。

お金も時間も使って求めてもみたけど、
やっぱり自分には無理だったんだ。
これもダメなんだ。
という諦めです。
人生を終わらせたいと思ったりもしましたが、そんな勇気もなく、
「あーーー、ホントにだめなんだーー!」
ってなって、完全にあきらめがついたあと、
暫くして、初めての一瞥体験が起こったわけですが、
その後めでたし、めでたしとなるわけでもなく、
一瞥が去った後に、また自分に戻ってきて、
以前なら気にならなかった感情もやけに気になるようになり、
言葉にならない不安感が襲ってきたりして、
それに向き合わなきゃならない状況が何度も訪れては、そこから逃げるにはどうすれば良いのか?
どうすればこれを鎮められるのか?
といった試行錯誤もあったりしました。

えー!一瞥体験があったから、あとはめでたしめでたしってなるんじゃなかったのー?
と思ったりもして、
更にスピ系の門を叩いたりもして、
その時の先生からは、更なる修行が必要とか、
カルマの解放が必要だとか言われたりして、
また、そんなのにハマったり、その後、また再度、一瞥の体験があったりして
幸せな気分に浸ったり、
何度もそういう体験を繰り返すうちに、
これを繰り返していたら、いずれは「それ」と一体化して楽になるのでは?
と希望を抱いたり、、、

そういう事も繰り返したりしていました。

で、

そのあと、徐々に、こういった体験も、悟りも、
そういったものも無いんやん!

っていうか、「自分」ってないんやん!

てなことが、徐々に、見抜けていって、

あー、こういったハマり方してる人多いのかもなー。
だからと言って、スピが悪いとか良いとかじゃなくて、、

良い悪いとか、判断とかも「自分」があるという観念から来ていて、
この観念があると、結局、どこにもゴールが無くて、
何かにハマり続けちゃうわけで、
だからと言って、それでいいんですけど、、、、

なーんてことがこのブログ書いてる理由の一つになってるのかもしれませんけど、、、
ま、基本は書きたい事、書いてるだけですけど、、、


と、話がそれちゃいましたが、
貯金が底をつく恐怖、
特に何度も襲ってくる後悔についてですね。

恐怖や不安なんかがあったりして、なかなか前に進めなくなるってなこと、ありますよね。

お金の恐怖なら、まず現状をうけとめて、なんか計画をたてればそれなりに見通しがついてきて、不安もなくなりそうなものですが、

お金の作り方とかについては、僕も宝くじ当たらんかいな~。って夢見てる方なので、
よくわかりません。

基本的に僕は、
ないならないなりに、有るならあるでよし。
って感じで、特に計画とかたてたりはしないんですけど、

見通しが立つと安心することもありますもんね。
ただ、何かしらの計画を立てるにも、感情的なことで前に進めないのだとすれば、
まずはそこからですよね。

ま、お金のことについては置いておいて、
感情について、
とくに後悔の感情について、
僕なんかに何かしらのアドバイスができるかどうかわからないですが、
一応、書かせていただきます。

出てくる後悔ってのは、やはり抑圧されていた感情さんが、
「ワタシを見てねー。」
てな感じで出てくるわけでして、
それを抑えこもうとしても、また出てくるんですよね。

で、出てくるこの感情に説明をつけだして、
あー、あんなにお金を使ってしまって、
自分はバカだった、、
いや、だます方も騙す方だ、、、
そもそも騙しだったのか?
いずれにしてもバカだった。。。

とかとか、、、

後悔の材料がどんどん出来上がってきて、
その説明がまたさらに、後悔の感情を呼び起こして、
またその感情に説明を加えて、、、

ってね、

思考と感情がぐるぐると回ってしまうんですよね。

僕も心当たりがすごーくあります。

でも、出てくるもんは仕方ないんですね。
息も吐かなきゃ、吸えもしないし、
食べ物食べたら、消化されて出てきますし、

感情だって、出てくるんです。
せき止めようとしても、それは無理で、
その無理さが苦を産み出しちゃったりします。

もし、ちょっと、見てみるという余裕があるのであれば、
ここは、そういった説明とか事情とか理由とか、
そんなものは参照せずに、
一旦、置いておいて
そのものの感情だけを見てみたら良いと思います。

感情には実際のところ、何の理由も原因も説明もレッテルもなく、

ただ、感情そのものなんです。

もちろん、そうそう上手くいかないかもしれませんが、
出てくるもんは仕方ないですもんね。

これを出ないようにしよう!としちゃうと、
余計に感情が抑圧されたり、

出ないようにしよう!
出ないようにしよう!

と余計に気になっちゃったりしちゃうんですよね。

恐れとか後悔とか、
そういうのって、ある種の反応であって、
それを何とかしようとすると、
どうしても、その感情とかを抑えようとかコントロールしようといったことになってくるんです。

そうなってくると、なんか人生そのものも恐れに支配されちゃう。
みたいなことになっちゃったりするんですよね。

反応は反応として、ただ起こってるんでね。
そのまんまでいいんですが、
それに無意識のうちに何とかしようとすることで、逆に支配されちゃってるのだとしたら、
まずは、ただ見てみて確かめてみないことには始まらないんです。


上手くいかなくても良いんで、
試しに、
感情そのものだけを抱きしめてあげる。

というのを試してみるのをおススメします。

感情さんに、表現させてあげるのを許すんです。
後付けされるレッテルは無視しながらね。

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