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質問返答編パート1:自由意志はないと思考は現実化するについて

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さて、
今日はいただいた質問をテーマに書いていきたいと思います。

質問
(ココから)
質問は起こることが起こる。勝手に起こっている。自由意志はないってことに対してなんですが、
少し前の記事でタクさんがその人が描いてるステイタスによって世界は変わってくるって書かれてました。
これって結局思考が実現するってことなのでしょうか?
でも勝手に起こってて思考がこうなれって思ってもならないんですよね?
今こうやって質問してるのもそれが起こってるだけなのに、なんでステイタス(自分の考え)が現実と思っている世界に反映されるのでしょうか?
わかりづらい質問ですみません。
もう一つ、前回の記事で一瞥体験について書かれてましたが、本当に感覚的にそれを体験しなくても自分はいなかった、などを経験できるものなのでしょうか?
タクさんみたいな方(一瞥体験した方)はそろって言いますよね?
一瞥なんて意味が無いこれしかないからーって。
でもそれって一瞥を経験したから言えることでそれを知識でわかってもすべて一つとか流動性しなかないとかってわかるのかな~と。
この分かる自分はいないと言われたらそれまでなんですけど、、←これに気づくことが、できるのか。
何が言いたいかといいますと、もしタクさんが一瞥をしてない状態でタクさんがおっしゃってることを知識として捉えて本当にすべてあるとかそういうのがわかったのかという質問です。すでに一瞥体験してしまっているのでその感覚がもうわからないかもしれませんが。。
あと、前回質問した内容でもう少し疑問なのですが、嫌なニュースを見ていやだなーって思ってる時その感情そのものが自分なんですよね?そのニュース自体は起こってないって認識でいいのでしょうか?
また違う方なのですが、その方が戦争なんて起こってないよ~みたいなこと言ってたんで。
これしかない、どこまでがこれでどこからがこれじゃないのかわからない、、という感じです。五感で感じるものはすべてこれかと思ってたんですが。
この嫌な感情がこれで戦争を経験してないから戦争はこれじゃないんですかね?
衝動を見抜くとそれがわかってきますか?やっぱり気になったりした時理解したいんだな~で終わりにしてググったりしないほうがいいんでしょうか?こうして質問してますが(苦笑
正直サットサンとか行ってもムダ(失礼)じゃないかってのは感じていて行ったことはありません。
起こることが起こるので行っても悟り体験みたいなのが起こるとは限らないと聞いて自分もそうだと思っているからです。でも行ったらそれが起こるかもしれないですよね。自由意志はないっていわれるから嫌なことがあっても起こっただけでどうしようもないと思って過ごしてますがモヤモヤしてしまいます。
(ココまで)

頂いた質問は、カンタンにまとめると

・自由意思について
・思考と現実化について
・一瞥体験において知識として分かることについて
・で、分かるにはどうすれば良いの?サットサンってどうなの?結局どうすればわかるの?

って感じでしょうかね。

ご質問ありがとうございます。
書くテーマを頂けるのはありがたいです。
順番に書いていきたいと思います。

さて、自由意志と思考の現実化についてから書いていきたいと思います。


自由意志はない。と
思ったことが引き寄せられる。

この2つって矛盾しますよね。

でもよーく見てみると、
実はこの2つは全然矛盾しないんですよね。

その辺、見ていきましょ。

自由意志はない
ってね
よく言われますよね。

確かにそうなんですけど、なんか自分の意思ってあるように思いますよねぇ。

自由意志はないってのは、自分という者はいなくて、概念なんだ。
と言ってるのと同じことなんですけどね。

この自由意志というものが自分という概念として受け止められているわけですね。

この辺の誤解についてなんですが、
まず、感情や思考ってありますよね。

こういうのって、厳密には違うんですけど、
呼吸に似てるのかも知れません。
一見コントロールできてるような錯覚があるんですよね。

呼吸って一瞬止められるじゃないですか。
けどずっとは無理ですよね。

コントロールできるように見えて出来てないんですよね。

川の流れで例えてみるとします。

川の流れってコントロール出来ないですよね。
よし。今から逆流させまーす!
流れ、止めまーっす!ってね。
言っても出来ないですよね。

流れを止めるぜ!
ってね。
手を差し出しても
まあ手にバンバン水の流れが当たるだけでね。

思考や感情もこういうのに似てて元々は勝手に起こってますが、その中であらゆる記憶や解釈が絡んできて、
複雑に絡み合ってるんですよね。

でね、こういった思考の絡み合いと同時に、それを見ている感覚ってのもあるんですよね。
この見てる感覚ってのもまた、思考の絡み合いに巻き込まれて絡まってます。

この見ている感覚ってのが、いわゆる「自分」という感覚なんですね。

思考や感情に絡み合っていますと、自分というのは思考や感情を含む複合体のような感覚になっていたりします。

だから、嫌なことを感じたりしても、その嫌なことも自分のように感じたりするんですよね。

さて、こういった大前提があるということを踏まえて、
自由意志は無いと思考は現実化する。
に話を戻しましょう。

思考とか感情ってコントロールできるような錯覚があるというのは、
自分というものが絡まっていて、思考や感情と同化しているという前提がありますよねぇ。

この自分と絡まってる部分がなんかコントロールしてる錯覚を起こしてるんですよね。

普通、大体の人はこの錯覚の中で生きているような感じです。

大河の中に手を差し入れて、流れを止めた気になっている。
この手の部分だけにフォーカスすると確かに流れが止まっているように見えるけど、
実際は流れを止めることなんて出来ていない。

みたいなね。
そんな感じに似てますね。

だいたい、思考や感情がコントロールできるんであれば、
嫌な感情なんて起こったりしないはずなんですよ。

好き嫌いに悩む必要もないんですよ。

なのに起こってくるじゃないですか。これってコントロールできない証拠なんですよね。

さて、自由意志というのは、コントロールできるという事を意味します。
そして、大前提として、その意思を決定する自分というものがいるという事も意味するんですよね。

コントロールも出来ないし、そもそも自分というものがただの感覚であって、実体はない。
つまり自由意思を行う者がいないんですよね。

だから、自由意志なんてないんですよね。

さて、思考は現実化するについてはどうでしょう?

その前に現実ってなんやねん?
ってことを見てみたら良いと思います。

現実ってなんか当たり前のように捉えられていますが、
何の思考もなしに目の前のことを見てみたら、
なーんにも捉えられないじゃないですか。

なので、思考でもって捉えてるわけですよね。

今日は暑くて目の前にはコーヒーがあって、
何時から誰かと約束があって、その前に資料を用意して・・・

ってね。

これってぜーんぶ思考なんですよね。

つまり、現実って、思考の中のストーリーのことなんですよ。

思考がやがて現実化していく。
ということじゃなくて、

思考が現実なんです。

思考=現実です。

それに加えて自分と言う見てる感覚が絡まっているんです。

思考=現実=自分

なんです。
実際のところは。

で、イコール(=)ってのは同じものを意味するじゃないですか。

だから、取っ払ってみましょう。

取っ払うと、

思考現実自分

となります。

イコールだからつまり、分離は無いわけです。

ちなみに、感情と思考にも分離はありません。

思考とか感情って、名付けていますが、これらも何やら起こっていることにレッテルづけしているだけです。
よーくみてみると、思考と感情の境目なんて見つからないんですよね。

なので、思考=感情です。

イコールを取っ払うと

思考感情現実自分

となります。

身体もココロも同様です。

なので、
身体ココロ思考感情現実自分

となります。

このカタマリ。

これらがそれそのものなわけです。
起こってます。

それでいて、起こっているのは捉えているから起こっているように見えている。
とも言えます。

というわけで、思考は徐々に現実に移り変わっていくという事じゃなく、
思考がそのまんま現実であり、
こういった思考や感情やなんやかやを行為している自分というものもいない。
という事なんですよね。

って、言葉でいくら言ったとしても、結局のところそれを理解しようとすること自体が、
何かを掴むこと、そして掴む自分がいることが大前提になっちゃうので、
結局その先に「それ」が訪れることはありません。

だから、自身でみて確かめてみなきゃならないんですよね。

ですが、やっかいなことに出来ることは無いんです。
何かをやったとしてもその大前提に自分と言う概念があるからなんです。

でも、少しだけできることがあります。
それが見てみること、そのまんまにしておくことです。

見ることによって、思考や感情に絡まっている自分は発見できます。

経験している、見ている自分というのも発見できます。

そして、思考や感情からの絡まりから自分が外れた時、
その自分というのは発見できるのか?

確かめてみたら良いと思うんです。

見てる誰かってホントにいるのか?

絡まりから外れたとたん、有るように見えている自分と言う実体が消えてしまいます。

さて、長くなってきたので今日はこの辺までにしておいて、
質問返答編パート2では一瞥体験と知識として分かることについて、
そして、起こっていると起こっていないについて書いていきたいと思います。

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