今、目の前に何がありますか?
コップ?
ペン?
コップでもなんでもいいから、今、見てみてください。
できれば形あるもののほうがいいかな?
コップだとしてみましょう。
そのコップを見てみてください。
この時、あるのはそのコップだけなんです。
どこかに観念的に、それを見ているという判断的なものがあるかもしれません。
この、それを見てるとしているのはただの観念なんです。
実体のあるコップだけを見てみましょう。
見てるとしている観念には姿も形も無い。
つまり、実体のない想像の産物なんです。
この観念に対する見抜きが起きた時。
ホントにちゃんと見られた時。
その観念は力を失うんです。
あるがままとは、
ただある目の前のコップです。
観念なんかは存在して無いんですね。
この観念が重みとなっていたんです。
よく言われる悟りの素晴らしい体験は、
この観念を手放した本来の軽さを表現されているんです。
重いリュックを下ろした瞬間の開放感みたいなもんです。
いつか来るその時をまつ必要はありません。
常に今、門は開かれているんです。
今、目の前にある実体のある何かを見てみたらいいと思います。
目の前の実体のあるもの以外の、
実体の無いもの。
それが観念です。
観念には実体がありません。
だから、ただの想像の産物であることは明らかなんですよね。
そして、「それ」とは、
そのことが明らかになるだけのことなんです。