Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

天道是か非かと定義からの目覚め

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僕、歴史がとても好きなんですよ。
大学時代なんかも時間を見つけては図書館にこもり、
歴史書なんかを読んだりしてたんですよね。

特に「史記」という司馬遷という人が書いた歴史書が好きだったんです。

この史記という歴史書のテーマは
人はどう生きるべきか?
「天道是か非か」
という問いだったんですね。

まさに当時僕自身も悩んでいたテーマにピッタリ!と言う感じでした。

天道是か非か?

について、司馬遷さん自身も相当悩んでいたようです。

天道とは、天の道。
簡単に言うと、良い事をする。善行みたいなもんですね。

是か非か?
とは、それって正しいのん?間違ってるのん?
という意味ですね。

だって、めっちゃ悪い王様は、贅沢し放題で、天寿を全うしてたりするし、
ものすごく良い行いをして忠義を通した人が無残な死に方をしてたりもする。

司馬遷自身もある種の正義感から出た言葉から恨みを買ってしまって、
男性のシンボルを切り落とされる刑を受けたりしてます。
この刑を宣告されたとき、大金を払えば刑を免除されたりする決まりもあったらしいのですが、
自身はそんな大金払えるはずもなく、だれも支援してくれるひともいなかった。
死を選ぶか、切り落とされるかの二者択一だったそうですが、
どうしても歴史書を完成させたいので生きることを選んだそうです。
そんなこともあったからか、
余計に人はどう生きるべきか?について悩んでいたようなんですね。

史記にはあらゆる人の人生について書かれています。

栄華を極めた後、没落する人。
人に厳しい法律を作り、人を管理しすぎる社会にした結果自分がその法律で裁かれてしまった人。
あらゆる人に批判されたにもかかわらず、将来絶対にみんなのためになると大事業を推し進めた人。
時の王を暗殺しようとして無残に返り討ちにあった人。
どんな状況でも約束を守ることを最優先にした人。

あらゆる人の人生を描くことによって、
果たして、
天道は是か非かについての答えを探る。
「史記」ってのは、そんな本なんですね。


天道。
つまり天の道。

これって、生きる指針としてはもう最高位の指針なんじゃないかな?
って思います。

損か得か?で生きる指針もあれば、

いや、そうじゃなくて、
私の満足になるか?ならないか?

で生きる指針もある。

人の為になるかどうか?という指針もあれば、

天の道として考えて正しいのか誤りなのか?
を指針とするのもある。

まさに天の道の指針は最高位の指針なわけですが、
それでもやはり、それが是か非かはわからないわけなんですね。

その答えを求めても、この先に答えっていつまでたっても表れないんですよ。

例えば、
悟りをひとつの指針としたとしても、
それで、人生が上手くいくかどうかなんてのもわからないわけです。

そう。

どうあってもわからないのが真理なんです。

分かろうとすると、そこから益々はなれちゃうわけです。

分かることとは、何かを定義するという事です。
定義するということは、
○○は◆◆であるとする。
と決めるという事です。

これは、オママゴトの中で
このどろ団子は、おにぎりとする。

あなたはパパ役。私はママ役をすることとする。

という決め事と同じです。

何もない中で定義されたモノ。

その中に答えがあるはずがないんです。

だって、ただの空間に空想上の線を引いただけですからね。

その空想上の線引きで分離を定義しているだけなんです。

元々の空間には何の線も引かれていない。

そのことへの気づきが、定義からの目覚めなんです。

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