Life is like children playing house.

非二元、ノンデュアリティ、悟りからの目覚め。

把握しとかなアカン!症候群

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道を歩いておったらですね。
信号が赤だったら止まらなきゃいけないですし、
段差があったらつまづかないようにしなきゃいけないですし、
向こうから歩いてくる人がいたら道を譲りあったりしますし、
障害物があったら避けなきゃなりません。

なので、安全に道を歩くのには、周りの状況を把握しておかなきゃいけないんですね。

目をつぶって歩くのが怖いのは把握できないからです。

うん。

当たり前ですよね。

でね、このあたりから、
把握しておけば安心だみたいな信念が出来上がるわけなんです。

うん。
そりゃそうですよね。

この辺は自己防衛本能としての当然の働きなんです。

でね、なまじっか人って頭がいいもんだから、
把握しとかなあかん!が過剰に働いてるんじゃなかろうか?
なんて思うんですよね。

動物なんかは、ま、目の前の危険を避けたりとか、
お腹減った時に食べるものを探すくらいで、
それ以外は普通に寝てたりします。

あとは、冬眠前にやや多めに食べたりとか多少の食べ物を蓄えたりするリスみたいなのもいますが、
せいぜいそんなところですよね。

でも人ってなんか先々によく分からんことまで把握しておいて、
安心したいって考えてるんじゃないかなーってね。

思うんですよ。

でね、把握するためには、判断をしなきゃならんわけですね。

その判断するのに役立つのは、
指針なんです。

指針と言うのは、判断するための取扱説明書みたいなもんです。

この取扱説明書が完全、完璧だったらもう、何の心配もないわけです。

どんな判断に困ることが起こっても、その説明書通りに判断すれば間違いないんですから。

で、どんどん把握できることを増やしていけばいくほど安心できるはず!!!!

ってね。そんな風に発想が発展していっとるんと違うじゃろか?
と思ったりするわけです。

判断の基準とは、価値観みたいなもんですね。

で、その価値観をブラッシュアップしていこうとしちゃうんですよね。

そのなかでも「悟り」ってのは、もう最強の虎の巻!のように見えちゃったりするんですよね。

で、そんな思いがあるから、
悟りを開いた人は

人格がとても素晴らしく、
どんなことにも狼狽せず、
完全・完璧な人間なんだ。

みたいな誤解もあったりしますよね。

悟ったら、なにかが変わるはず!
みたいなね。

これも、何かしらの価値観なり指針が上書きされると、
人がよりよくなる。
みたいな思想があるからなんですよね。

ま、そういった価値観探しってのは、
どうも、元をたぐっていくと、
単純な自己防衛本能が暴走しておるからなのかもしれませんね。

それが暴走することによって、よけいに不安や恐怖感も産み出しちゃったりしてね。
余計な苦を背負い込んじゃってるんですよね。

把握するというスキルが役に立つのは、せいぜい道を歩いていてつまづかない程度の
ほんの少しの範囲でしか役に立ちません。

雨降りそうやから傘持っていこか。
くらいのもんです。

先々の人生計画なんてことを把握するのは所詮無理ゲ―です。

良く当たる占いなんてのも、その場の共感くらいにしか役立ちません。
きゃー!当たってるー♪
みたいなもんですね。

把握というのは、そういったほんの目先のことぐらいをなんとかする役割でしかないんですね。

なので、そのスキルをブラッシュアップしたところで、その範囲も大きくできないわけですからいつまでたっても役立つモノにはならないんですね。

つまり、その先には安心は無いということです。

じゃあ、どうすればええねん!
という事なんですけど、
安心じゃない理由はこの把握しとかなアカン!という信念があるからなんですよね。

よく、
いまここに平安がある。
みたいなことが言われてたりするじゃないですか。

これっていうのは、まさにその通りで、
把握しとかなあかん症候群が発症してなきゃ、もうそれが平安なんです。

だから、頑張って瞑想してみたり、
何も考えない練習をしてみたり、
私は在るにあろうとしてみたりね。

そういう事をしがちなんですけど、
そういった行為もその大元に、
把握しとかなアカン症候群があってのことだったりすると、
その先には安心は訪れないんですよね。

なぜなら、安心じゃない理由が「把握しとかなアカン症候群」だからです。

諦める。
全てを委ねる。

みたいなのもね、
この把握しとかなアカン!症候群を手放すっていう事なんですよね。

なので、何とかしたいから、
把握して安心したいから、
委ねようとしてみたり、諦めようとしてみたりしてもダメなんですよね。

なので、いろんなワークに、お金や手を出す前に、
まず、この把握というスキルを過大評価してたりしないだろうか?

把握できる範囲なんてせいぜいチョビッとだけでしかないんだよ。
ということ。

この把握しとかなアカン!という信念が、不安や心配を生み出しているという事。

把握しとかなアカン!という信念が無きゃ、もう安心しかないという事。

みたいなことを、見てみると良いかもしれません。


とまあ、ココまで書いておいて、
把握しとかなアカン!症候群よりも、

何とかしなきゃならん!症候群のほうが良かったかなー。
なんて思ってたりして、、、

ま、いいか。
これもひとつの一例ということでアップしちゃいます。

これは、
わからんままでええんやでという事と同じですし、
いまのあなたでええんやで。というか完全完璧なんやで!という事なんです。
ぶっちゃけ、把握しようがしまいが、障害物があったら勝手に身体は避けるんですよね。
そこに避けようとしてる誰かなんていないわけでね。

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