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Life is like children playing house.

人生はおままごとのようなもの。

非二元を気休めにしない

自我ちゃんのクセ

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すべては「それ」である。
みたいな非二元メッセージって、
自分が抱えている悩み苦しみにたいして大きな救いになるように感じるんですよね。

で、実際に救いになるんですよ。

でも、ややこしいことに、救いを求めてしまうと救われないんですよね。

なんでかというと、

救われんでもよかったんや。
そのままでよかったんや
という気づきが「それ」だからです。

なのでね、
まず、そういったメッセージを気休めとか救いにしようとしない方が良いと思います。

どうしても身動きが取れず、にっちもさっちもいかないというのであれば、
対処療法として、気休めになるなにかを採用してみても良いかもしれません。

救いを求めようという気がなくなってきて、少し余裕ができてきたら、
改めて探究してみるとかね。

あと、
こういたメッセージに対して、
確かに理想論としてはそうだし、
ホントはそうなのかもしれないけど、
そうはいっても世界は二元として動いとるんだから、
まずは地に足つけて二元の世界を生きる術を学ばなきゃ。

みたいな意見が出てくる場合もあるんですけどね。

これもなんか、非二元を気休めとか生きる指針としてとらえてるからかもしれませんね。

でも、こういったメッセージって生きる指針でも気休めになる何かでもないんですよね。

それで、このメッセージは
別に、二元の世界に地に足つけて生きるというのと、全然矛盾しないんですよね。

結局のところ、自分がどうにかなる。
って言うような思いは、
どこか、自分が特別な何者かになる。

という思いが土台にあるんですよね。

そして、その自分がどうにかなろうとするところが出発点にあると、
その先には満足のいく終着点が見出せないんです。

結局、どの時点にあろうと満足できないんですよね。

こういったメッセージは本来何の役にも立たないものなんです。

役に立たないんだったらダメじゃん。

ってね、思うかもしれませんけど、
この思いも、底辺には自分が特別な何者かになれないんだったらだめじゃーん。

につながっちゃうんですね。

なので、どこかこういったメッセージに気休めとか救いとか、
そういったものを求めているんだとしたら、
その救われたい思いの方をを見てあげたらいいんだと思います。

思いってのは見てあげると、行き場を失います。
逆に言うと、見て欲しくて出てきてるってところもあるんですよね。

あらゆる思いって。

これを無理くり蓋をして閉じ込めようとすると、
そこに苦が生じたりするんですよね。

だから、思いは見てあげて、表現させてあげたらいいんだと思います。

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